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スペルヴェデレ(見るべき術を知る)ということ[炉辺閑話]

No.4889 (2018年01月06日発行) P.47

小路武彦 (長崎大学大学院医歯薬学総合研究科組織細胞生物学分野教授)

登録日: 2018-01-03

最終更新日: 2017-12-21

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私は、長崎大学医学部で解剖学の一端である発生・組織学の講義実習を担当しています。疎まれるのも覚悟で、相変わらず組織標本の光学顕微鏡観察とスケッチを学生に課しています。それは、本当に「見る」ということは、大いなる経験と知識を必要とするということを認識して頂くためです。

そもそも人類において、見るという能力は絵文字から出発した文字を使って知識の継承を可能とし、サル達と一線を画し文明を切り開いてきました。見ることは人間の基本能力なのでしょうが、レオナルド・ダ・ヴィンチは、目に映るものを理解するにはその奥に(裏に)隠された事象を理解する必要がある、として、スペルヴェデレを提唱したと聞いています。見えるものを本当に理解するためには、心眼ではなく論理的構築に支えられた知識が必要なのです。

私は、受精により世代の若返りを可能とする生殖細胞の謎に興味があり、精子形成過程での様々な分子の挙動を組織細胞化学により視覚的に見つめています。細胞状態の解析には、やはり相応な術(方法論)の開発が必要で、新たな質問に対し新たな知恵が要求されます。所詮、すべて化学反応により合成された分子群から細胞は出来上がっているのですが、何億年もの時間を経てつくり上げられてきた生命の若返りの理解には、新たな知恵と見るべき術が必要だと感じています。

最新の超解像顕微鏡を使うと、光学顕微鏡でありながら何と電子顕微鏡レベルの解像力で様々なシグナル分布を解析できます。人間の目とは裏腹に、コンピュータの支援を受けて顕微鏡の目は格段に良くなっているのです。しかし、画像が何を意味しているのか、裏や行間も含めて正確に読み取るには、技術革新に負けぬ、たゆまぬ術の切磋琢磨が必要なのではないでしょうか?若い研究者の中には、質を上げる実験努力よりも、デジタル画像の適切な操作により綺麗な写真を作製し、実験終了とする方々が増えていると聞きます。見るべき価値もない虚像に翻弄されないよう、「見るべき術を知る」ことが今、重要だと感じています。

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