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島尾敏雄の『われ深きふちより』・『或る精神病者』・『狂者のまなび』─家族の眼で見た精神科病院[エッセイ]

No.4864 (2017年07月15日発行) P.70

高橋正雄 (筑波大学人間系)

登録日: 2017-07-16

最終更新日: 2017-07-11

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  • 1955(昭和30)年6〜10月までの4カ月あまり、妻を国立国府台病院に入院させ、自らも妻を介護するために精神科病棟で暮らした島尾敏雄は、患者家族の視点から見た精神科病院の実態を、いくつかの作品に描いている。

    『われ深きふちより』

    昭和30年に発表された『われ深きふちより』1)には、まず精神科の外来に通う妻に主人公が付き添っていた頃の体験が描かれている。

    妻が医師の診察を受けている待ち時間に、主人公はかねてより気になっていた精神科の病棟を見にいく。彼の眼の前には、「棟の低い女病棟が風雨にさらされて黒ずんで横たわっていた」のである。その病棟の「扉はすべて固く閉ざされ、窓にはこまかく木の格子や金網が張ってあったり又鉄格子がはめてあった」が、「内部はうす暗く、或はうす暗い水族館の室内で水槽の中の奇体な熱帯魚を見るような具合に、格子の向うに患者たちの顔が集ったり離れたりふわふわしてうかがえた」。

    彼が病棟に近づくと、若い女が鉄格子に両手をからませて自分を見ていた。しかし、彼女がかすかに笑いかけようとしたとき、主人公は思わず強ばった顔で歩みを返した。そして、もとの場所に引き返した主人公は、自らの行為を反省しつつ、「どうすればよかったのだろう。もう少しどうにかやわらかな様子をその患者に示すことができなかったものだろうか」、「窓の格子につかまって、その若い女は何を考えていたものか。そしてその女にどんな将来が訪れて来るものか」と思うのだった。

    ほどなく、妻の入院が決まり、妻の介護のために病棟で暮らすことになった主人公は、病棟を外側から眺めるのではなく、格子の内側から外の世界を眺める立場になる。病棟内では、医師や看護師が扉の錠前を開ける鍵をがちゃつかせて歩いていたが、実際に住んでみれば、「別にそこで秘儀がふんだんに行なわれていたわけでもない」。最初こそ、患者の発作時の叫び声や言葉の通じなさ、窮屈で固着した執心や唐突さなどに戸惑ったものの、「次第に患者たちの癖に馴れてくると、彼らの言葉が分るようになり、叫声におどろかなくなり、亢奮もおそろしくなくなって来る」。いや、そればかりか、「ここでは、他人の発作に寛容」であるため、主人公は、一般社会よりも傷つくことなく、誇り高く生活されそうにさえ思えるのだった。

    そんなある日、主人公は、入院患者たちの風変わりな円陣踊りを見る。そのぎこちない踊りにはあらゆる年恰好と服装が混ざっていたが、主人公は、踊りの輪に入らずに部屋の隅の長椅子に腰かけてじっと踊りを見ている1人の患者に気づいた。あの、格子につかまって主人公を見ていた若い女である。

    しかし、この時最早、「遠巻きの逃げ腰の観察者ではなくなった」主人公に、「あの時の不馴れなしかし感傷的な感情」は残っていなかった。珍奇なものを見る眼付きもなければ、怖れの感じもなくなった主人公は、そこにただ、「脳が悪くてなやんでいる目立たぬ一人の女」を見ているに過ぎなかったのである。

    すなわち、かつて精神科の病棟の中に非現実的なおどろおどろしい世界を想像していた主人公は、いざ自分が病棟で暮らす身になってみると、そこがかつて想像したほど異常な世界ではないことに気づいている。主人公も、自らその内実を知ることで、精神科病院や入院患者に対する誤解を改めているのである。

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