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山内曽六日記 [エッセイ]

No.4838 (2017年01月14日発行) P.70

長島文夫 (杏林大学医学部腫瘍内科学教室准教授)

登録日: 2017-01-15

最終更新日: 2017-01-10

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米国出張時、10年前のロサンゼルス留学時代にお世話になった日本人ご夫妻にご挨拶に伺う機会を得た。その際、彼らが日系2世の山内氏から個人的に譲り受けたという「山内曽六日記」(日系1世)を拝見させて頂いた。バインダーに丁寧に綴じられ、青インクで書かれた日記は、保存状態が良く、当時の日系人の想いが綴られている貴重な歴史的資料である。

75年前の1941年12月7日付け「山内曽六日記」では、「午前十時半を少し回った頃であった。裏庭で働いていたボーイの一人が慌しく表の僕のところに走って来た。今日、日本の飛行機がハワイのパールハーバーを爆撃していると言っていますよ、と告げるのである。僕は馬鹿な!と一笑した。……」といった書き出しで始まっている。パールハーバー攻撃の一報後、日系人は敵性外国人として強制収容される。

滞在したホテルから、今回の研修先であるシティーオブホープがんセンターへ向かう途中にある広大なサンタアニタ競馬場も強制収容所の1つだったそうだ。

シティーオブホープがんセンターでは、geriatric oncology(老年腫瘍学)の世界的権威であるDr. Hurriaと研究の打合わせを行った。米国と医療体制は違うものの、高齢者機能評価をはじめ、様々なレベルの研究協力について意見交換をし、わが国の向かう社会保障制度や臨床研究開発において参考になる有意義な訪問となった。身体的・社会的・精神的な多様性に応じて、それにふさわしいがん医療を提供できないだろうか、というのが老年腫瘍学のコンセプトである。

『二つの祖国』(山崎豊子著)において、サンタアニタで生を受けたアーサーも今年で75歳を迎えることになろうか。昭和、平成の荒波にもまれ、さまよっているようにもみえる日本のことを、海を渡られた山内翁がご覧になったらどのように思われるだろうか。九州は福岡生まれと伺っている山内翁から、超高齢社会の日本に対して、是非ご意見を頂きたいものである。

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