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僕たちはもっと対話しよう [炉辺閑話]

No.4837 (2017年01月07日発行) P.59

古屋 聡 (山梨市立牧丘病院院長)

登録日: 2017-01-02

最終更新日: 2016-12-27

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ここ数年「いつでもどこでも誰でもエコーを使おう!」みたいなプライマリケアエコーのおすすめをしている機会が多い。

近年の「運動器エコー」の分野の発展は著しく、医師のみならず、理学療法士・鍼灸マッサージのような施術師にも、エコーの臨床使用は広がっている。もともと、運動器診療分野は、「画像(たとえばX線)で見ること」とともに、「自分の手や指で触ること」がことに重要な分野であり、「誰でも使える」運動器エコーの出現は、「指で身体と対話する人たち」に大きな福音を与えたと言ってよい。指で対話してきた所見を、自分の目で確認できるからだ。またエコー所見も、後にフィルムで残された静的な情報はごく一部のものであって、ライブで見ている情報のほうが圧倒的に意味があることが多い。エコー検査自体も「対話」であって、術者がどのようにその画(え)を出して、またその画(え)をどのように解釈し、利用するかについては、エコー機器のスペック以上に術者の研鑽にかかっている。

一方でエコーがこれだけ普及し、エコーの手技があまりに簡単なのにもかかわらず、実臨床の中で、なかなかエコーに手を出してくれない医師たちも存在する。彼らはどう感じているのか?

考えられることは2つ、「自信がない」か「対話する気がない」のである。

「その健康問題を扱う知識やスキルに自信がないか、エコー画像の描出と解釈に自信がない」場合、エコーの先輩が少し時間をかけて丁寧に伴走できるなら、きっとその医師は「自分自身で身体やエコーと対話していく」モードに入っていくことができて、いつか「さらに患者さんとよく対話できる」医師になっていくと思う。

しかし「対話する気がない」医師は問題である。「専門外だから」「もっとよく診てくれるほかの医師もいるよ」といって「関心を示そうとしない」医師も存在するし、年齢的なものもキャラ的なものもあるが、「自信がなく対話できない」モードから、しだいに「関心を示さないように、対話しないようにして問題への直面を回避していく」モードになっていく医師も存在する。後者は、つまり「臨床医の劣化」である。

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