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マンガは文化 [炉辺閑話]

No.4837 (2017年01月07日発行) P.140

遠藤 剛 (えんどうクリニック理事長)

登録日: 2017-01-05

最終更新日: 2016-12-26

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私も含め昔から子どもはマンガで大きくなってきた。私の時代は巨人の星、鉄腕アトム、鉄人28号、月光仮面、黄金バット、赤銅鈴之助……。しかしこの頃は、マンガ週刊誌を青年になっても読んでいる。青年の心をとらえる何かがあるのだろう。

文学は活字の裏や行間に想像やイメージなどの広がりがあるのに対し、マンガ、動画は主人公の姿がそのまま青年の心に入り込んでくる。何千人の青年たちに同じイメージで。

子どもがマンガに夢中になるのは、容易に主人公になり切れる単純さが、そのせいだと思う。子どもから大人への成長は、マンガを乗り越える時間的な感性が必要ではなかったのだろうか。

それが、過渡期なのに、マンガ本のまま大人の世界に入る現代青年の幸福な刹那主義であり、逆に言うならば、大人と子どもの境がなくなった青年の「不幸な成長」と言っても過言ではない。

最近の若者は「忍耐力」がなくなったというが、こんなところにも影を落としているのではなかろうか。

近頃、マンガの発行部数が年々減少しているというが、その衰退の原因は、時代の流れなのか。マンガの「視覚的なもの」「娯楽性」のみを追求し、マンガ本来の本質を見失いかけているような気がする。

読者の「心に残る何か」が今のマンガに感じられないことも、1つの要因かもしれないと思う。生命の本質を問う『火の鳥』(手塚治虫)に感銘を受けた世代だが、そんな命題に取り組む作品になかなか巡り合えない。今はゲーム感覚というか、次々に敵をなぎ倒すような、あまりに直接的な作品が多い。「風刺の精神」や「遊びの心」が見えないようにも感じる。

あまりに多くの種類のマンガが氾濫してしまったために、日常生活の一部と融合してしまい、マンガそのものが「空気のような存在」となり、その本質とマンガそのもののありがたさが、どこかに置き去られてしまっている気がしてならない。

現代社会において、マンガは日常生活と切り離せないものとなっている。また、大学入試センター試験の日本史、世界史、伝記などにも学習マンガが利用されており、「1つの文化」になってしまった。

マンガのつくり手には、ぜひ「マンガに何ができるか」といった命題に正面から取り組んで欲しいと思う。長いマンガより新聞古来の一コマや四コママンガに、その解決の糸口が隠されているのかもしれない。四コママンガを深く掘り下げることによって、創造するイメージが醸成され、飛躍・拡大されるのではないだろうか。

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