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私と粒子線がん治療:その草創期のこと [炉辺閑話]

No.4837 (2017年01月07日発行) P.132

辻井博彦 (放射線医学総合研究所客員研究員、神奈川県立がんセンター・ 重粒子線治療センター長(i-ROCK))

登録日: 2017-01-05

最終更新日: 2016-12-26

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現在、世界の粒子線治療は、陽子線治療が58施設、重粒子線治療が12施設で行われています。これら合計70施設のうち15施設が日本にありますが、これは米国23施設に次ぐ第2位で、人口当たりでは世界最多になります。

私と粒子線治療の出合いは、1978年、米国ニューメキシコ大学に留学した時に遡ります。同大学は当時、原爆開発のマンハッタン計画で有名なロスアラモスで、世界初のパイ中間子線治療プロジェクトを実施していましたが、それに私も参加したのです。パイ中間子とは、原子核の中で陽子と中性子を結びつける糊のような働きをしている素粒子のことで、湯川秀樹博士がその存在を予言し、ノーベル賞を受賞したことで有名です。日本人にゆかりの深い粒子が、がん治療に使われるとあって、読売新聞社がスポンサーとなり、われわれ関係者に世界3カ国のパイ中間子線治療施設への留学の機会が与えられたのです。私もその1人で、北大在職中に米国とスイスに、それぞれ1年間滞在しました。

鳴り物入りで始まったパイ中間子線治療でしたが、残念ながら、その物理・生物学的特性は期待通りではなく、結局、臨床研究はすべて打ち切られてしまいました。しかし、約20年に及んだ臨床研究を通じて、新しい治療技術が開発され、数多くの専門家が育ったという意味で、その歴史的意義は非常に大きいものがあります。

私はその後、この時の経験が機縁となり、1988年より筑波大学附属病院陽子線医学利用研究センターに赴任しました。当時の陽子線治療は米国主導で、もっぱら脈絡膜悪性黒色腫や頭蓋底腫瘍など、稀な疾患が対象でした。

これらの疾患は、もちろん、筑波大学ではほとんどお目にかかれません。そこで私は治療対象に、肺、肝、食道、子宮など体幹部のがんを選ぶことにしました。当時の筑波大学の陽子線治療はまさに草創期で、高エネルギー加速器研究機構の加速器の一部を使わせてもらうという、いわば間借り生活のようなものでしたので、マシンタイムも不規則で、タイミングよく適応患者を集めることが困難でした。それでも、陽子線の本来持っている利点が徐々に認識され、臨床成果も出るようになり、その結果、筑波大学敷地内に独自の装置建設が認められ、また、後続の施設も着実に増えるようになりました。

20数年前、草創期の陽子線治療は紛れもなくニッチ医療だったのに、今では一般医療に根を下ろすまでになったのです。これは世界的な傾向で、当時を知る私としては感慨深いものがあります。

さて、1994年、私にまた転機が訪れました。放射線医学総合研究所(放医研)において治療を目的とした世界初の重粒子加速装置(HIMAC)が建設され、そこに私が臨床部門の責任者として赴任することになったのです。HIMACは世界に誇れる施設です。重粒子線治療以外の時間帯は国内外の研究者に開放され、臨床とともに基礎研究も行われています。以前はもっぱら日本から欧米に向かっていた研究者の流れが、やっと逆方向に変わったのです。その意味で、HIMACはわれわれ日本人に自信と誇りを持たせてくれました。世界のほぼすべての重粒子線治療施設に対して、放医研の影響が及んでいるといっても過言ではないのです。

放医研の重粒子線治療においては、これまでの21年間に約1万人が治療されました。2016年4月には「小児がんの陽子線治療」および「手術が難しい骨軟部腫瘍」の重粒子線治療で有効性が示されたとして、全額の保険適用が認められるようになりました。目下、粒子線治療の問題点はその建設費が非常に高価なことであり、また、ほかの疾患の保険適用もいかにして実現するかということです。

重粒子線治療が一般医療にしっかり根付くまでは、さらに多くのハードルが待ち構えているようです。

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