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学生に何を伝えればよいか? [炉辺閑話]

No.4837 (2017年01月07日発行) P.89

平山篤志 (日本大学医学部附属板橋病院病院長)

登録日: 2017-01-03

最終更新日: 2016-12-26

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大学に戻って学生を教えるようになり痛切に感じることは、学生が知らなければならない知識の多さです。40年近く前、私が医学生であったころ、evidenceという言葉もなかったし、またCT、MRI、エコーなどといった機器もありませんでした。この間に、医学は大きく進歩しました。治療も変わり、診断機器も変わりました。知らなければならないことはその進歩の分だけ増えているのですから当然です。

授業をしても、ほとんどの時間を知識の伝達に費やさなければ、医師となるための国家試験に合格できません。どうして、このような事実が明らかにされたのかといった軌跡を説明することなく、結果だけを教えることになります。たとえば、「どうして心不全患者にβ遮断薬を使うのですか?」という質問には、「エビデンスがあるからです」という答えになり、結果、覚えて下さいということになります。本当は、機序を議論して結論がないことを知ってもらい、その過程でいろいろな考え方を学ぶことが重要でその場所が大学なのに、単に知識を伝達する予備校のようになっています。

医師になって患者を診察したとき、知識だけで診断と治療ができるのでしょうか? 問診を通してヒトとなりを観察し、いくつかの疾患を考えながら検査をオーダーし、そしてデータを基に診断を推測して、治療する、その繰り返しをしながら病気の診断にたどりつこうとするのです。その過程で最も大切なのは、考えるということだと思います。ひょっとしたら、これまでに明らかにされていない病気かもしれないのです。限られた知識にない病気であれば、たちどころに行き詰まってしまうでしょう。実際に、臨床現場に出ればエビデンスの基になった大規模臨床試験の対象とならない患者さんが多いのです。

どうしたらよいのか? 解決策は簡単には見つかりません。解決を困難にしている1つに、国家試験合格というハードルがあります。合格のための知識が必要なのです。確かに、知識は必要ですが、それだけでは現場で役に立ちませんし、またその知識さえも数年で変わってしまいます。できれば、むしろわからないこと、わかっていないことが数多くあり、それをどうして克服するかの方法を、医学を教える中から学んでもらうことが大切なのですが、根本的な変革はむりです。そこでbed side learningの少人数での授業では、ささやかな抵抗として考えることの大切さを伝えたいと思っています。

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