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ふたつの人工的な島 [なかのとおるのええ加減でいきまっせ!(90)]

No.4795 (2016年03月19日発行) P.74

仲野 徹 (大阪大学病理学教授)

登録日: 2016-09-08

最終更新日: 2017-01-26

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  • 講演で長崎を訪れた。数カ月前にそのお話をいただいた時、すぐに軍艦島上陸ツアーの予約をした。『我レ軍艦島ニ上陸セリ』というタイトルでエッセイを書こうと喜び勇んで乗船した。が、『天気晴朗ナレドモ波高シ』で、近くまで行ったものの接岸できず、あえなく退散とあいなった。トホホ。

    それでも、島の全貌を眺めることはできた。いまや廃墟になっているとはいえ、高層アパート群や学校、病院などがひしめくさまは壮観であった。そのひとつ30号棟は、1916年築の日本最初の鉄筋コンクリート集合住宅であるというから驚いてしまう。

    周囲1.2キロの島に最盛期は5千人以上の人が住み、人口密度世界一だったらしい。失礼ながら、30号棟とともに、こんなところがですか、と思ってしまった。学校、病院のほかに、お寺からパチンコ屋、スナックまでそろっていたらしいが、さぞかし息がつまりそうな生活だったろう。

    狭い島であるから、一般的な住居には、風呂もトイレも炊事場もなかったそうだ。その一方で、1950年代後半には、電化製品三種の神器(テレビ、冷蔵庫、洗濯機)の普及率は全国平均の5倍、100%であったという。なんとも奇妙で微妙、そして絶妙なバランスの上に成り立つ生活だったというところだろうか。

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