明治39年3月に発表された島崎藤村(1872~1943)の『破戒』には、教員生活に疲れ果ててアルコール依存症に陥った風間敬之進という教師が描かれている。
明治の信州の小学校を舞台にした『破戒』には当時の教員の様々な生態が描かれているが、職員室に集まる教員については、「日々の長い勤務と、多数の生徒の取り扱いとに疲れて、さして教育の事業に興味を感ずるでもなかった。中には児童を忌み嫌うようなものもあった」と、教員の疲弊や無気力・頽廃ぶりが強調されている。中でも疲弊の甚だしいのが風間敬之進で、彼は自らの教員生活を顧みて「小学教員の資格ができてから足掛15年になるがね、その間唯同じようなことを繰り返してきた」「終には教場へ出て、何を生徒に教えているのか、自分ながら感覚がなくなってしまった」と自嘲して、次のように嘆くのだった。「実際、我輩なぞは教育をしているとは思わなかったね。羽織袴で、唯月給を貰うために、働いているとしか思わなかった」「毎日、毎日─騒しい教場の整理、大勢の生徒の監督、わずかの月給で、長い時間を働いて、よくまあ今日まで自分でも身体が続いたと思う位だ」。
結局この風間という教師は、「根気も、精分も、我輩の身体の内にあるものはすっかりもう尽きてしまった」と、文字通り燃え尽き症候群のような状態に陥って教師を辞めるのだが、実は彼が教師を辞めた背景にはもう1つの問題があった。それはアルコール依存症という問題で、風間と飲酒の関係については、「飲めば窮るということは知りつつ、どうしても持った病には勝てない」「一日たりとも飲まずにはいられない」「一晩でも酒の気がなかろうものなら、寂しくて、寂しくて、身体は最早がたがた震えてくる」などと記されていて、当時の風間がアルコール依存症に陥っていたことは明らかである。
実際、風間は「我輩は飲むから貧乏する、と言う人もあるけれど、我輩に言わせると、貧乏するから飲むんだ」「我輩も、始の内は苦痛を忘れるために飲んだのさ。今はそうじゃない、かえって苦痛を感ずるために飲む」と、いかにもアルコール依存症者が言いそうな台詞を吐いている。「察してくれたまえ─飲んで苦しく思うときが、一番我輩に取っては活きてるような心地がするからねえ」。
このように、『破戒』には教育県と言われた長野における小学教師の疲弊や鬱屈した心理のほか、そんな状況の中でアルコール依存症に陥っていく教師の姿が描かれている。結局、風間敬之進は妻からも捨てられ、酔ったまま雪道に寝込んで凍死寸前になるのだが、『破戒』は、昨今問題となっている教師の過労やメンタルヘルスという問題に触れるとともに、ドストエフスキーの『罪と罰』の影響を受けた部分はあるにせよ、わが国ではアルコール依存症者の心理を描いた作品としても先駆的な作品のひとつなのである。