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【識者の眼】「パンデミックの海で⑧─帰路そして自己検疫」櫻井 滋

No.5183 (2023年08月26日発行) P.59

櫻井 滋 (東八幡平病院危機管理担当顧問)

登録日: 2023-08-09

最終更新日: 2023-08-09

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学会が終わり、出張許可の期限を迎えた私は、滞在の延長が許されず、急ぎ大学へと戻ることにした。しかし、気がかりは、船の中で自らが感染し、媒介者となる可能性であった。

当時、新型コロナウイルス武漢株について、正確な潜伏期間が明らかになっていたわけではないが、中国をはじめとする蔓延状態にある場所の情報から、潜伏期はおおむね7日程度と理解されていた。

船から戻ったばかりの私たちが、学会や報告会に参加するというのに、会場ではマスクをする者は誰一人見かけず、私自身も下船後マスクなしに行動した。

その大きな理由は、船の中で知り得た感染者分布と、我々より長期間、比較的無防備のまま過ごした厚生労働省の担当者や、特定の検疫官以外に感染が見られなかったことから、船内に関する限り、武漢株の感染経路は、当初強く懸念されていた、空気感染の蓋然性はきわめて低く、感染患者がいる客室に入るか、感染患者と会話しない限り、容易に感染しないという現場感があったからである。そして、そもそも厚労省が、我々を検疫対象にしないと決め、既に文書で通知していたのである。

今思えば、私が仮に感染していたら、あのとき報告会の会場前で、ぶら下がり取材をした多数のマスコミの人々が、軒並み感染していたかもしれない。だが、偶然にも私は感染していなかったようである。「ようである」という、いかにもあいまいな表現は、私には何らの症状もなく、帰学後に県に進言はしたものの、ウイルス検出検査の機会がなかったからである。

私は、迷うことなく新幹線で盛岡に戻ることにした。幸い乗り合わせた車両には空席が目立ち、隣と前後の席も空席だった。結果的に思い悩むことはなかったが、仮に鉄道会社が私の行動歴を把握していたとしても、感染性を証明できない限り乗車を拒むことは難しかったであろう(JR旅客営業規則第23条、伝染病患者鉄道乗車規程を参照)。

盛岡に帰ると、なぜか私は、にわか有名人であった。いくつもの放送局や新聞社からの取材申し込みがあり、正直煩わしいほどだった。主に、厚労省の対応を疑問視する立場から、船内での感染対策の問題点を明らかにしようとする依頼が多かったが、未来に残すべき教訓は多いものの、未曾有の対応を揶揄する扇情的報道に、与すべき情報も根拠もなかった。

とは言え私たちは、事後に憂いを残さないためにも、通常業務を行う前に、自己検疫が必要だと考えた。私自身は、同僚や家族と距離を置き、食事も時間をずらして取ることにした。極力、出歩くのをやめ、ほとんど終日、自室のデスクで過ごした。下船した日から7日を経過し、幸いにも発症することはなかったが、同行したチームの何人かが職場に戻ると、業務命令により、行動を制限されたという。たとえば勤務を禁止され、あるいは郵便物がドアの前に捨て置くように放置され、まるで感染者以上の警戒ぶりだったと嘆いていた。

想えば、所属機関の管理者も、潜伏期にある可能性が無視できないととらえたのであろう。下船した従事者を端緒とした感染事例の有無は、非公式にさえも定かでないが、検査結果のみに偏った、後の「情緒的」安全確保の方針に比べれば、医療従事者のあり方として、自己検疫は論理的に、より妥当な判断だったと、今でも私は考えている。(続く)

櫻井 滋(東八幡平病院危機管理担当顧問)[新型コロナウイルス感染症][ダイヤモンド・プリンセス号]

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