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[スペシャル対談]誰がために医師はいる〈対話篇〉─薬物依存に対する常識的な見方を覆す(仲野 徹×松本俊彦)

No.5135 (2022年09月24日発行) P.14

登録日: 2022-09-22

最終更新日: 2022-10-19

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医師・医療従事者向け動画配信サービス「Web医事新報チャンネル」(www.jmedj.co.jp/movie/)では9月22日よりスペシャル対談「誰がために医師はいる〈対話篇〉」(全4回)の配信を開始しました。薬物依存症患者と向き合う日々を描いた『誰がために医師はいる』でこのほどエッセイスト・クラブ賞を受賞した松本俊彦氏と、同書を日本医事新報誌上でいち早く取り上げ激賞した仲野徹氏が、依存症に対する常識的な見方を覆す“こわいもの知らず”のトークを繰り広げる本対談。ここでは前半の見どころをダイジェストで紹介します。(対談は8月5日に収録しました)


トンデモ本と思うほどの衝撃的内容

仲野 『誰がために医師はいる』は、一般の人が抱いている覚せい剤や薬物中毒に対するイメージが全く塗り替えられる、先生の肩書がなかったら「トンデモ本じゃないか」と思われるほどの衝撃的な内容です。

(日本医事新報誌上で)私が書いた書評を読ませていただくと、先生は「覚せい剤というのはそんなに悪い薬物なのか」ということを書いておられる。「覚せい剤は幻覚や妄想を引き起こし、暴力事件を起こす。だから危険なのだ」というのが一般的な考えだが、我々がそういうイメージを持っているのは「薬物使用者を危険な精神病者としてゾンビやモンスターのように描く薬物乱用防止キャンペーンに、まんまと騙されている」からだというのが先生の主張。

もう1つの主張は「アルコールのほうがずっと悪い」と。この2つがすごく衝撃的です。

非常に凶悪な事件が起きた時に我々は「クスリやっとったんちゃうか」とつい思ってしまう。そのように刷り込まれているわけですが、そういうのは絶対にいかんというのが先生のベースのお考えですね。

松本 そもそも我々(医師)だって6年間の医学教育の中で薬物依存症について習った時間は、精神医学の1コマ90分だけですよね。しかも、大学病院の精神科の医師がどれだけ薬物依存症の患者と関わっているかというと、ほとんど会っていない。

仲野 大学病院は基本的に薬物依存を診ない。

松本 僕自身が依存症の専門病院から大学の教員として戻った時に医局長から言われたのは「絶対に患者を連れてくるな」。依存症を専門とすると大学の講座担当者になれないというジンクスがあったりするんです。

薬物と政治・差別との深い関係

仲野 覚せい剤というと反社会的組織の資金源になっているということがある。そこはどうお考えですか。

松本 覚せい剤が反社会勢力の資金源になるのは、法律で規制しているからですよね。その規制だって、元をたどれば異文化、戦争における敵対国の文化だから禁止したりもしているんです。でも、いったん戦争が始まると密売をして、それで軍事資金を集める。

薬物は政治の問題や文化間・民族間の差別と関係しているんです。最も典型的なものは大麻だと思いますが、客観的に科学的なエビデンスを言おうとするとみんな圧力でつぶされるんですよね。

仲野 大麻の問題はすごく難しい。米国でも認める州もあれば認めない州もある。

松本 米国がなぜ大麻の規制を最初に言い始めたかというと、禁酒法が廃止になって捜査官の雇用をつくらなければならない、それとメキシコ移民や黒人のジャズミュージシャンたちを排斥するという意図があった。

もう少し言えば、ポストコロニアルの世界的な状況の中での「支配される側」と「支配する側」との文化的な軋轢が薬物の規制や反社会勢力との関わりと関係があるんですよね。そういう歴史的な文脈を無視して、都合のいい科学的な事実をかいつまんで啓発をするという「疑似科学」を長い間政策的にやってきている。

そのことに気づくためには、まず我々医師が当事者と会わないといけない。どんな人が使っているのか。医者が会っていないので誤解が流布しやすいんです。

仲野 いったんそういうストーリーがつくられると、それが頭に入ってある種の「常識」になってしまいますよね。

松本 (その誤解が)解けるには、セクシャルマイノリティの方たちが市民権を得ていくのと同じくらいの時間や様々なストラグルが必要なんだと思います。

「ヒロポン」と犯罪性が結びついた背景

仲野 日本には歴史的に言うと「ヒロポン」(一般名:メタンフェタミン)があった。あれはかなり広く使われていたんですか。

松本 そもそもは1890年代の終わりに東京帝国大学教授の長井長義先生が(メタンフェタミンの合成に成功した)。もちろん喘息の薬やうつ病の薬としても使われて、何よりも戦時下には軍用品として使われた。夜間の軍需工場で女子高校生たちが飲んで一生懸命働いたり、特攻隊も使っていた。戦後のどさくさをなんとか盛り上げてきた人たちも、もしかしたら「ヒロポン」の力を借りていたかもしれない。

仲野 何年間くらい使われていたのですか。

松本 「ヒロポン」という名前で(一般に)流通されていたのは、戦後直後から1952年頃まで。覚醒剤取締法(1951年施行)ができて(流通しなくなった)。

最初は(取締が)緩かった。罰金刑くらいだったのですが、1954年頃からじわじわと厳しくなっていった。規制すると反社会勢力の人たちが使うようになってきて、最終的には、上野の戦争孤児たちが集まっているゲットーみたいなところでヒロポンを常用している少年たちがいろいろな犯罪を犯したということで、犯罪性と「ヒロポン」が結びついた。

仲野 (薬物の規制は)文化的・社会的な側面との関連性が非常に高い。

松本 さらに他民族の排斥ですね。覚せい剤が規制されてもなお反社会勢力の人が売っている中で、覚せい剤で儲けた資金を朝鮮半島に送っているというのが国会で問題になり世論が高まった。それが朝鮮人排斥運動と合流して一気に覚醒剤取締法が出来た。

この法律が悪いと言っているわけではないんです。ただ、米国の禁酒法もそうですが、何か大きな人権を制限するような法律が一気に出来る時は(他民族の排斥のような)国民感情のうねりがあるということは知っておいたほうがいいという気がするんです。

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