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100年カレンダー[なかのとおるのええ加減でいきまっせ!(382)]

No.5093 (2021年12月04日発行) P.67

仲野 徹 (大阪大学病理学教授)

登録日: 2021-12-01

最終更新日: 2021-11-30

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『一度しかない人生を「どう生きるか」がわかる100年カレンダー』という本を見つけた。もはや「どう生きるか」もへったくれもない年齢に達しているようにも思うのだが、人生100年時代、100歳までとなると、まだ3分の1も残っていることになる。

生まれてから100年分のカレンダーをプリントアウトして、いろいろな出来事を書いた付箋を貼り付けていく。1957年の3月14日の「生誕」というのが最初の付箋である。

同じ年の10月15日に父親が亡くなっているのがかわいそうな気がしないでもないが、物心もなにも付く前だったから、よくわからない。以後、たいして大きな出来事もなく阪大医学部に入学し、1981年の3月に卒業している。ここらあたりまでは、付箋がスカスカだ。しかし、そこから一気に人生で最高に慌ただしい季節に突入していく。

研修医として1年半、市民病院の内科で1年半を内科医として過ごし、その間に結婚した。基礎研究の道にはいって、娘が2人生まれた。それからドイツへ留学し、帰国して京都大学の本庶先生の研究室のスタッフになった。これだけのことが10年たらずの間にあったのだ。生活環境の変化が尋常ではないが、若さというのはすごい。当時はまったく大変とは思っていなかった。

其の379『キッパリ!』でも書いたように、50歳前はなんだか元気を失い気味だった。年齢的なこととかがいちばんの理由だとばかり思っていた。しかし、100年カレンダーを作ってみたら、他の要因が浮かんできた。やたらと忙しかったのである。

学内とはいえ、微生物病研究所から医学部への異動があった。医学系研究科の副研究科長を3年間務めたのだが、その間、研究不正や学生実習でのO157感染事故というとんでもないトラブルに振り回された。

さらに、年間2億円もの大型研究費を2つ抱え込むことになった。いずれも複数の部局にまたがるプロジェクトのリーダーで、運営にはずいぶんと神経をすり減らした。その上、幸いにも研究が非常に順調だったので、海外からのお呼びがよくかかり、海外出張も多かった。研究室の人数も増えて、最大の時には20数人にまで膨れ上がっていた。

その時代のカレンダーは付箋でびっしりだ。なのに、不思議なことに、どっぷり浸かっている最中は、忙しすぎてまったく気づいていなかった。皆さんもご注意をば。

なかののつぶやき
「健康寿命を考えたら、これからの人生における可処分時間は10年分くらいしか残されてないようです。人生は意外と短いであります。一生懸命遊ばねばなりません」

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