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精神医学的漱石論(3)─ 千谷七郎 [エッセイ]

No.4814 (2016年07月30日発行) P.74

高橋正雄 (筑波大学人間系)

登録日: 2016-08-16

最終更新日: 2017-01-23

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  • 東京女子医科大学精神科の教授だった千谷七郎が1963(昭和38)年8月に発表した『漱石の病跡』1)の中の「病気のあらまし」という章では、夏目漱石の神経衰弱を、「今日の知識を以てすれば、内因性鬱病と診断して間違いはなかろうと思う病気」とする立場からの議論が展開されている。そこには、以下のようないくつかの不可解な点が見受けられる。

    「第1回」の神経衰弱

    千谷は、漱石の松山行前後の神経衰弱を論じるにあたって、1894(明治27)年10月16日に書かれた手紙の中の「塵界茫々毀誉の耳朶を撲に堪ず」という文章や、1895(明治28)年5月10日の手紙の「当地にても裏面より故意に疳癪を起さする様な御利口連あらば一挺の短銃を懐ろにして帰京する決心に御座候」といった文章を引用している。しかし千谷は、普通なら、まずは幻聴や被害妄想の可能性を検討するであろうこれらの文章について、幻聴や被害妄想を反映したものであるか否かの議論はしていない。

    千谷は、これらの手紙から「病状の一端がよく分る」とするだけで、それが彼の主張する内因性鬱病のどのような症状に該当しているのかも明示せずに、ただ「漱石の突然の松山赴任は、いろいろと巷説があるようであるが、病気による東京脱出、遁走であると思われる」と言うのみなのである。

    これでは、彼の言う鬱病のどの症状が「東京脱出、遁走」に結びついたのか、わからないままである。

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