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司馬遼太郎と吉村昭[なかのとおるのええ加減でいきまっせ!(354)]

No.5065 (2021年05月22日発行) P.67

仲野 徹 (大阪大学病理学教授)

登録日: 2021-05-19

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飛鳥山について書いてある「天声人語」を読んで、半世紀近く前、今はなき大学の教養部時代に日本史の講義で聴いた話を懐かしく思い出した。『坂の上の雲』で秋山好古が陸軍士官学校を受験した時の逸話である。

「飛鳥山ニ遊ブ」という作文が出題された。東京の人なら皆、飛鳥山といえば桜の名所として知っている(らしい)が、松山から出てきたばかりの好古は知らない。なので「飛鳥、山ニ遊ブ」という内容で答案を書いた。試験の後、不合格と覚悟するが無事に合格した、というエピソードだ。

お名前も忘れてしまったが、担当の先生、司馬遼太郎のすごいところは、何でもないような小さな話に、明治時代のダイナミックな自由あふれる空気を込めるところだとおっしゃった。とても印象に残った。

大昔の講義で習った内容などほとんど忘れてしまっている。逆説的だが、だからこそ、大学の講義というのは、こういった、いつかふと思い起こすかもしれない無駄話をいれるべきではないかと考えている。なので、ちょっとした小ネタをいっぱいはさんでいる。わたしの講義は、わたしが聴いたら完璧に楽しめるはずの講義なのだ。

司馬遼太郎の代表作はほとんど読んだ。最後の奥医師にして、後に陸軍軍医総監になる松本良順を描いた『胡蝶の夢』もいい。一方、司馬と並ぶ歴史小説家・吉村昭にも、同じく松本良順が主人公の『暁の旅人』がある。好みもあるだろうが、この二作だと圧倒的に吉村の作品に軍配を挙げたい。

吉村は若い頃に結核を患ったこともあって、医学に関係する本も多い。西洋食で脚気を防げることを報告した高木兼寛の『白い航跡』、解体新書をめぐる『冬の鷹』、『ふぉん・しいほるとの娘』などなど。

『北天の星』、『花渡る海』、『雪の花』、『破船』は、天然痘や種痘をめぐる小説である。コロナ禍ということで、この4作を中心とした「医学小説─伝染病予防に奔走した人々─」という特別展が、荒川区立図書館の中にある吉村昭記念文学館で開かれている(現在、緊急事態宣言のため休館中。展示内容の一部はHPで見ることができます)。

そのパンフレットの巻頭言を依頼された。大好きな作家さんである。嬉しいどころではない。いや、もう、原稿料なしで結構ですと言ってしまったほどだ。結局のところは、ちょうだいいたしましたけど。

なかののつぶやき
「『飛鳥山ニ遊ブ』のエピソードが実話なのか創作なのかがずっと気になっていました。ネットで検索してみたら『伊予歴史探訪』というHPに、『坂の上の雲』の『飛鳥山ニ遊ブ』の作文のエピソード、というページがありました。それによると、秋山好古ではなくて、いっしょに受験し、共に合格した丹波篠山出身の本郷房太郎の実体験を借用したものだそうです。いやぁ、長年の疑問が一気に氷解しましたわ。便利な世の中になったもんです」

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