No.5050 (2021年02月06日発行) P.79
仲野 徹 (大阪大学病理学教授)
登録日: 2021-02-05
最終更新日: 2021-02-02
大正10年2月5日創刊の『日本医事新報』は本号をもって100周年を迎える。ここに、心からご祝詞を申し上げとう存じます。
なんでも、『東洋経済』と『ダイヤモンド』についで、現在日本で刊行されている週刊誌の中では3番目に古いらしい。4位が『週刊朝日』なのだからたいしたものだ。
昭和19年、出版界の整理統合により週刊医学雑誌は『日本医事新報』だけになった。そんな中、昭和20年の5月1日発行の号は「決戰版」で戦意を示した。にもかかわらず終戦第1号の特集が「アメリカの醫學」というのがすごい。こういう変わり身の早さが100年続いた秘訣なのかもしれませんな。
編集部から創刊号のコピーを送ってもらったのだが、結構おもしろい。全28ページで、うち10ページ半ほどが広告である。まともな薬があまりなかった時代のせいだろう、薬剤よりも器具類の宣伝の方が多い。
まったく効果のなさそうな薬や、今となっては何なのかすらわからない薬の中、「强心藥ヂギタミン」の1ページ広告が目をひく。もちろんジギタリス製剤である。広告主は「發賣元」の塩野義商店、デザインやロゴのフォントもなかなかおしゃれである。
大小じつにさまざまな記事が載せられているが、医薬分業についての記事が見開き2ページで最大だ。見出しは「妥協案全く破れ再び劍戟の間に相見えん 日本藥劑師會昂然として宣戰す」と、やたら勇ましい。
個人的に興味をひいたのは文部省XY生という匿名著者による「博士物語」で、医学博士の粗製濫造に警鐘を鳴らすものである。「赤門あたりの博士製造所でも買被りとか情實と云ふ様な製造法があつて」などと、ほとんど言いがかりだ。ただし、この前年の医学博士の授与数はわずかに59名、明治21年以来の総数にして617名でしかない。
「受驗者僅か二名 第一回醫師試驗」という小さな記事もある。当時は医学部や医科大学を卒業すれば医師免許がもらえた時代だ。おそらく、なんらかの救済措置のために文部省が新しい試験を始めたのだろう。
その試験問題も載っている。病理学は「一.義膜炎とは何ぞ。二.膓窒扶斯の病理解剖的變化に就て。三.ショック死に就て記せ。」の3問。あかん、三番以外アウト。ちなみに「窒扶斯」はチフスと読むそうな。
100年前といえばかように遠い昔である。誠におめでとうございます!