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情報を遮断せよ[なかのとおるのええ加減でいきまっせ!(279)]

No.4987 (2019年11月23日発行) P.64

仲野 徹 (大阪大学病理学教授)

登録日: 2019-11-20

最終更新日: 2019-11-20

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11月2日、ラグビーW杯決勝戦の日、うっかりして文楽公演のチケットを予約していた。終演が8時半、ラグビーは6時からなので、生中継を見ることはできない。あかんがな。もちろん録画はする。しかし、試合結果を知らずに見たいではないか。

まず、帰宅時に決して試合結果を漏らさぬよう家族に厳命。問題はネットである。試合を検索しなくとも、いろんなことをSNSでつぶやく人がいるに違いない。まぁ、これについての対策はたやすい。スマホを持たずに家を出ればいいだけのことだ。

さて、これで完璧。と思ったが、伏兵に気がついた。帰路である。電車の中や街中で、南アがすごかったよなぁとか、試合結果を話題にしてる人がいるに違いない。聞こうと思わなくても耳にはいってしまう可能性がある。はて、これをどうするか。

と思案してたら、持ってないはずのスマホが鞄の中に。何してんだか…。しかし、これやがな。大音量にしてイヤフォンで音楽を聴きながら帰ればええんや。さらに、念には念を入れて、人の多いターミナルは避けていつもと違う経路で帰宅した。ということで、我、情報遮断に成功せり。完璧!

知りたい情報をすぐに得られるようになったのは実に素晴らしいことだ。しかし、一方で、知りたくない情報から逃れるのがいかに難しいか。しょうもない出来事がきっかけだが、いかに情報があふれかえっているかを痛感した。

本やエッセイを書くとき、ネットの情報は欠かせない。ちょっとしたことでも、文献を探すとなると、どこで何を探したらいいかわからないことも多いし、間違いなく相当な労力だ。昔の人は、どうやって調べ物をしていたのかと思いさえする。ありがたいことだとはいえ、いつも、これでええのかと自問している。

これを知りたいと思いながら、何年もわからないままになっていることがよくあった。そういったことが何かの拍子にわかったとき、目の前がパ~ッと開けたような気分になったものだ。ちょっとたいそうだが、生きててよかったという気すらした。

最近では、そんな機会はめったにないし、これからはもっとなくなっていきそうだ。自分で調べるまでこれは教えてくれるな、という選択的情報遮断権。意外と大事な気がするんですけど、難しいやろうなぁ。

なかののつぶやき
「ラグビーW杯の決勝は、結局、3時間遅れでビデオ観戦。みんなが知らないことを自分だけが知っている、というのはなんとも愉快だけれど、その真逆という不思議な状態での観戦でした。でも、試合を楽しむという意味ではリアルタイム観戦と同じ。なんかちょっとしたパラドックスみたいやなぁ、と思いながら見るのも面白うございました」

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