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医史からみた妊産婦の命を守る闘い②─人工早産術[エッセイ]

No.4956 (2019年04月20日発行) P.60

水田正能 (安来市立病院地域医療部長・婦人科部長)

登録日: 2019-04-21

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帝王切開などの産科手術がない時代では、回転術を行い、児のリスクが高まる足位を選択してまで、産婦の命を救うことが第一であった。さらに、佝僂病などで骨盤の異常が推測された産婦に対して、児が小さいうちであれば、分娩が完結する可能性が高くなると推測するのは自明のことである。そこで、人工的に陣痛を発来させる試みが行われた。


人工早産術での第一の選択は、人工的に破水させること。つまり、道具を使って卵膜を穿刺するのである。スコットランドのJohn Burns(1775~1850)は、「羊膜穿刺は、時にはより大きな不幸を避けるため、ある特定の場合にはきわめて正当なこととして行われる」と述べている。その背景には、人々のある確信があった。それは、8カ月で生まれた子どもよりも、7カ月目に医術で早産した児のほうが丈夫に育つ、というヒポクラテスの教えだったという。

イギリスでは羊膜穿刺による人工早産術は、多くの医師が行っていたようで、長い間、それは「イギリス法」と呼ばれていた。これはGeorge Macauley(1716~1766)が1756年に創始し、Thomas Denman(1733~1815)が1794年に、破膜が分娩の過程では必要となることがある、と書いている。また、Samuel Merriman(1771~1852)らも推奨した。現在でも分娩の進行に人工破膜は有用であるが、臍帯脱出を起こすリスクを慎重に判断しなければ、医療事故になる場合もある。

ドイツのFerdinand August Maria Franz von Ritgen(1787~1867)は、頭が排臨または発露し、しかも分娩が遷延して母児の危険が迫った場合に、児頭を用手牽出する手段“Ritgenscher Handgriff”に名を残しているが、分娩促進の目的での卵膜穿刺を勧めた。破膜は医師に限られていたわけではないようで、「助産婦が理由もなく故意に羊膜に穴をあけるという不幸な慣習は、いくら非難しても足りない」、とある産科医が記している。また、1737年に神聖ローマ皇帝ルドルフ1世から帝国自由都市特権が与えられたドイツの都市Kaufbeurenでは、市当局が助産婦が破水のために指の爪をのばしたままにすることを禁じたというから、驚きである。

エドワード・ショーターの『女の体の歴史』には、1920年代、スイスのある高齢な助産婦は、穿刺用に使ったギザギザつきの指ぬきを自慢気に訪れた医師に見せた、とある。

一方、フランスでは宗教的な立場から、母体の命の代わりに児の命を犠牲にすることに反対した。Jean-Louis Baudelocque(1745~1810)は「イギリス法」を排斥し、ジフテリアの命名者Pierre Bretonneauの弟子であったAlfred-Armand-Louise Marie-Velpeau(1795~1867)など多くの医師も非難した。フランスでの法医学の創始者、François-Emmanuel Fodéré(1764~1835)は、1813年に人工早産術に使用される器械は残忍であり、使用を禁止すべき、と提唱した。しかし1830年を過ぎて、パリでも人工早産術は行われるようになった。1833年にJoseph-Alexis Stoltz(1803~1896)がまず提唱し、Paul Antoine Dubois(1795~1871)が学位論文(1834年)に、人工破膜を適切な分娩処置法のひとつと著している。

子宮口が閉鎖している場合は、人工破膜も容易でない。そういう場合には、器械的手段による陣痛誘発も行われた。前出のショーターによれば、1820年、まずスポンジ栓が使われ、19世紀後半には、現在頻用されるラミナリア桿(Laminaria digitataの茎根)が使用された。さらに手技は高度化して、近代産科学の創始者とされるが、38歳で早世したFranz Kiwisch von Rotterau(1814~1852)は、分娩を促進する目的で、1846年に子宮内に水を注入することで陣痛を起こす方法を発表した。しかし、Robert Michaelis von Olshausen(1835~1915)、Carl Conrad Theodor Litzmann(1815~1890)、さらに未熟児医療の先駆者であるPierre-Constant Budin(1846~1907)は、この手技による死亡例を報告し非難している。

その後Christian Krauseは1855年に、陣痛誘発の目的で、子宮内にゴム管を挿入する新しい方法を発表した。今は使用されないが、かつて教科書に載っていた誘発方法のブジー法に相当すると思われる。さらに、1862年にÉtienne Stéphane Tarnier(1828~1897)は、水を容れて膨れる球を子宮頸部に挿入する方法を発表した。1888年にはChampetier de Ribes(1848~1935)がゴム絹製球を考案した。今や分娩誘発の大きな手段であるメトロイリンテルが、産科の世界に登場したのである。

【参考】

▶ アンガス・マクラレン:性の儀礼―近世イギリスの産の風景. 人文書院, 1989.

▶ 大矢全節:産と婦. 1960; 27(7):455.

▶ ハワード・ハッガード:古代醫術と分娩考. 巴陵宣祐, 訳. 武侠社, 1931.

▶ エドワード・ショーター:女の体の歴史. 勁草書房, 1992.

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