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「日本医事新報」誌70年前の思い出[エッセイ]

No.4956 (2019年04月20日発行) P.59

杉本恒明 (関東中央病院名誉院長)

登録日: 2019-04-21

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私は1947(昭和22)年3月、中学3年の終わりに、満州の大連から引き揚げてきた。翌年の夏、両親と弟たち一家が引き揚げてきた。引き揚げてきた先は父の実家があった瀬戸内海の島だった。やがて島の小学校に転入した下の弟の頭に小さなハゲができた。村には大小、2つの医院があった。丁度、夏休み帰省をしたとき、私は弟を連れて、小さいほうの医院にいった。先生は、「ああ、それはね、円形禿頭症といってね、治療が話題になっているよ」と言われて、丁度、机上にあった雑誌を広げられた。右開きの縦書きの雑誌の表紙に目次が縦書きに印刷されていた。日本医事新報誌だった。広げられたページは質疑応答欄だったのに違いない。

その後、医学部で学ぶこととなって、円形禿頭症にはストレスが発症に関わることがあると知った。当時、都会の子として迎えられ、明るく、元気一杯にみえた弟であったが、引き揚げ、そして転校がそれなりの負担になっていたのであろう、と可哀想に思った。しかし、それはずっと、ずっと後日になって気がついたことである。

数年前、ご先祖様の墓参りに一家で故郷訪問をした。島では、大きかったほうの医院だけになっていて、小さいほうの医院は後継者がいなかったということで、なくなっていた。かつては、1町4村の大きな島だったのだが、人口が減り続けて、今日では全島が1つの町に統合され、それですらも消滅の恐れがあると言われている。

先日、全国紙に「人口減少に歯止めがかかった町」という記事の中に名があって、思わず、歓声をあげた。父が生まれ育った故郷であり、医学とはまだ縁のなかった私が、日本医事新報誌という医学雑誌を初めて目にした土地である。そして、実は山田洋次監督の映画「家族はつらいよ」の一家の出身地、本家があるとされている瀬戸内海の島がこの島であり、同じ村なのである。


日本医事新報社には「内科懇話会」という定例の勉強会がある。昭和10年、稲田龍吉先生を中心に発足した「話し合う会」に始まる勉強会である。私も参加させていただいて久しくなる。勉強会会場は日本医事新報社ビル3階の講堂である。古風なビルの玄関に立ったとき、ときおり思い出すのが70年前、本誌を初めて目にしたときのことであり、併せて思うのが、豊かとはいえない戦後生活の中で裸一貫の私たち、引き揚げ者を暖かく迎え入れてくれた、わが父の故郷の人びとのことである。

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