「とめてくれるなおっかさん 背中のいちょうが泣いている 男東大どこへ行く」という名コピーを初めて知ったのはいくつの時だったろう。橋本治さんが亡くなった。
『桃尻娘』は衝撃的だった。学生運動のまっただ中にいたはずの人が女子高生の文体で小説を書いたのだから。後の『桃尻語訳 枕草子』にもぶっとんだ。
何冊ものエッセイ本を読んだし、戦後三部作といわれる小説も読んだ。しかし、わたしにとって橋本治の最高傑作はなんといっても『浄瑠璃を読もう』である。
浄瑠璃は、三味線伴奏のついた語り物音楽で、義太夫、常磐津、清元などは、それを語る節である。で、文楽は、義太夫節で語られる人形浄瑠璃。義太夫を習っているから、このあたりにはちょっとうるさい。
『浄瑠璃を読もう』は、代表的な浄瑠璃の内容を解説した本である。話を現代に置き換えてわかりやすく説明したり、荒唐無稽な話では理屈など考えずに、そういうものだと割り切って見なさいと説いたりする。
文楽鑑賞の予習・復習に何度も読み返し、心の底から楽しめるようになった。橋本治さんはわたしにとって文楽鑑賞の師匠である。
女流義太夫の三味線弾き 鶴澤寛也さんは毎年「はなやぐらの会」という会を催しておられる。縁あって、3年前の会では、パンフレットに「義太夫を語ろう」という拙文を載せてもらった。
橋本さんがその会で解説をされたので、終演後ご一緒することに。お会いする前にはかなり緊張していた。そりゃそうだろう、相手は天才にして私的師匠なのだから。
しかし、本当に気さくな優しい人で驚いた。言葉遣いの達人だから、もちろん話はむちゃくちゃおもろい。名コラムニストの小田嶋隆さんもご一緒だったからなおさらだ。日記には「おばさんたちの会話みたいだった」と書き留めている。
お亡くなりになられた日、ツイッターは橋本さんを悼むコメントであふれかえった。歌舞伎研究者 矢内賢二さんの「橋本さんは恐るべきインテリでありながら常に東京の駄菓子屋の忰であり続けた。そんなことなかなかできるものではない」に膝を打った。
巨星墜つ。ひとつの時代が終わってしまったような気さえする。ありありと思い出せるあの楽しかった日のシーンを頭に浮かべながら、心からご冥福をお祈りしたい。
なかののつぶやき
「古典に造詣の深い橋本治さんならではの一冊。姉妹編に『義太夫を聴こう』もあります。いずれ後をついで『義太夫を語ろう』を出したいけど、無理でしょうね」