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【福島リポート特別対談】難病医療に学ぶこれからの災害医療
長谷川有史(福島県立医大教授)× 中島 孝(国立病院機構新潟病院院長)

No.4898 (2018年03月10日発行) P.7

長谷川有史 (福島県立医大教授)

中島 孝 (国立病院機構新潟病院院長)

登録日: 2018-03-09

最終更新日: 2018-03-08

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東日本大震災から7年が過ぎようとしているが、被災地の復興は道半ばだ。
新潟県中越地震と中越沖地震で被災し、中越沖地震に伴う東京電力柏崎刈羽原発の火災等の不具合を近隣病院として経験した神経内科医の中島孝氏(国立病院機構新潟病院院長)は、災害医療に難病医療のモデルを生かすことを提案している。そこで本誌は、連載「福島リポート」の特別企画として、福島県で原子力災害医療に従事する長谷川有史氏(福島県立医大教授)と中島氏との対談を実施。長谷川氏が新潟病院を訪れ、これからの災害医療はどうあるべきかを中島氏に聞いた。

喪失から再生するための方法はあります。意味の再構成です


中島孝(なかじま たかし)1958年新潟県生まれ。83年新潟大卒。87年米国国立衛生研究所(NIH)、91年国立療養所犀潟病院神経内科医長などを経て、2004年国立病院機構新潟病院副院長、17年4月同院長。04年から医薬品医療機器総合機構(PMDA)専門委員

先生の考え方に触れ、腑に落ちました。意味を再構成した結果が今の自分なのだと

長谷川有史(はせがわ ありふみ)1968年新潟県生まれ。93年福島県立医大卒。消化器外科医を経て、2006年同大救急科助教、14年同大放射線災害医療学講座主任教授。15年原子力災害医療・総合支援センター長兼務

【長谷川】まずは自己紹介をさせていただきます。私は外科畑からスタートし、救急医療の仕事をしている時に東日本大震災に直面しました。以降、原子力災害医療や組織のマネジメント、行政との調整、院内マニュアル作成など、これまで経験のない業務の中で環境の変化に日々もがきながら仕事をしています。
実は昨年、中島先生の論文「災害の難病化とその中に見えた希望」(中島孝:現代思想. 2011; 39(7):218-24.)を拝読する機会がありました。図らずも震災後に私に訪れた変化、そしてその変化に右往左往しながら順応してきた日々を予想されたかのような内容に衝撃を受け、直接先生にお話を伺いたいと思い、本日参りました。
文中で先生は、災害医療と難病医療の共通性について語られています。まずそこから教えていただけますでしょうか。

災害医療は喪失のケア

【中島】私は2004年に新潟県中越地震、07年に柏崎刈羽原発のほぼ直下で起きた中越沖地震で被災し、災害医療と難病医療のアプローチの仕方は非常に共通性があると考えました。
治らない進行性の疾患である難病は、ある時発症し、治癒を目指せないということを告知されます。難病も災害も自分の努力や意思にかかわらず、人のコントロールできないところで突然起きる。人間にとって「超越」を感じる契機となります。
もう1つの共通性は強い喪失感です。身体機能、生命、希望、見通し、社会参加、人生、財産、愛する人─。難病も災害も様々なレベルの喪失が起きます。
際限がないという共通性もあります。東日本大震災は津波被害も甚大で、原子力災害もあり、災害による影響がいつ終わるのか際限がありません。難病も実は際限がないのです。

【長谷川】「災害の難病化」という言葉が印象的です。

【中島】例えば大規模な事故が発生した時、急性期における医師の目標は被災者の生命を維持(救命)し、身体機能の低下を防ぐことになります。
一方、福島の場合は長期的に支援すべき問題がたくさんあります。地震、津波、原子力災害というモダリティ(様式)が異なる災害が連続して発生し、農作物・水産物への影響や風評被害、健康問題などが際限なく起きました。
これは難病も同じです。筋萎縮性側索硬化症(ALS)の患者さんの場合、病気が1回で収束せず、異なったモダリティの障害が次々に起きます。最初は筋力が低下し、それで終わると思ったら、歩けなくなり、嚥下ができなくなり、呼吸ができなくなる。新たな障害が出るたびに患者・家族、支援者は喪失を繰り返し、際限がないと感じます。

【長谷川】「喪失感」は、難病と災害を結び付ける重要な言葉ですね。

【中島】人間は自己をコントロールしようと思いますし、所有の欲求もあります。持っている物を失うと思うから喪失になります。

【長谷川】人はみな目標を自らコントロールしたいと思いますし、いったん実現したらそれを所有したいと考えます。それが自分ではどうすることもできない大きな力で回復不能に変えられてしまった状態が喪失であると。

【中島】はい。災害医療は、難病医療と同様に喪失のケアなのです。難病や災害による喪失は物質レベルでも起きるし、意味のレベルでも、関係性においても起きます。ただ、喪失から再生するための方法はあります。意味の再構成です。

【長谷川】意味の再構成とは、どういうことですか?

意味の再構成を支援する

【中島】人間は自分の意思で生命をスタートしたわけではなく、成長過程で目的や意味を獲得していきます。しかし、多くの人はそう思っていない。
例えば教師が脳卒中になり「教師に戻れないなら死んだほうがいい」と言ったとします。その時私が考えるのは、患者さんには直接言いませんが、「あなたは教師になることを自己決定してお母さんのお腹から出てきたわけではないよ」ということです。自然の中に生命体があり、そこに意識が宿って自己意識を形成していく。自己が身体を所有しているわけではないので、身体の処分権は本当は自己にはないのです。
次に重要なことは、人間いつかは必ず治らない病気、つまり難病になり死ぬということです。1歳で難病になる人もいれば、100歳で老化により治らない病気となる人もいる。様々ですが、最後に治らない病気で死ぬことだけは決まっている。
だから難病になった場合には元の身体に戻すことを目標にしたり、逆に生をあきらめたりするのではなく、治らない病気とともに生きる人生を肯定し、その時々に合わせて意味を再構成しながら、前向きにいきいきと生きることを目標にします。その支援が最も重要になります。
その際、医療には重要な役割があります。症状のコントロールです。苦痛と感じる症状をコントロールしないと人間は意味を再構成する力を失ってしまうからです。

【長谷川】私たちが生きる過程で自己コントロールしてきた目標や意味は、変化の前ではなすすべもありません。しかしそれを変えてゆかねば前に進めない現実に直面した時に、先生は、元に戻すことができない意味を書き換える、再構成する、ということをおっしゃっているのですね。

【中島】はい。人生は常に元に戻せません。ギリシャの哲学者ヘラクレイトスは「万物流転」と言っていますよね。彼は「人は二度と同じ川を渡れない」とも言っています。福島にはどんな川がありますか。

【長谷川】阿武隈川ですか。

【中島】阿武隈川にはどんな橋がありますか。

【長谷川】大仏(おさらぎ)橋があります。

【中島】大仏橋は何回も渡れますよね。なぜヘラクレイトスは二度と同じ川は渡れないと言ったのでしょうか。

【長谷川】うーん、人間の環境が日々変わることをヘラクレイトスはご存じだったのかもしれない?

【中島】その通りです。水は流れているので同じ水の上を人は二度と渡れないという意味ですね。時間は流れ、人生は流れ、時代は流れていく。難病患者さんも治りたい気持ちはあるのですが、その時々で意味を再構成していけばいい。

生活基盤の支援で災害後の未来を描き直す

【長谷川】難病において症状をコントロールするということを災害に置き換えた場合、コントロールすべきものは何でしょうか。

【中島】一人ひとりが自らを振り返り意味を再構成できるための支援を優先します。つまり住居や社会システムなど生活基盤に対する支援を早く開始することです。未来を「こんな風に思い描けるな」と語ることができるようになれば成功で、それが希望なのです。

【長谷川】なるほど。蘇生・バイタルサイン安定化、除痛だけがコントロールの対象ではないのですね。ところで、私でも誰でも再構成は可能ですか。

【中島】はい、もちろん。それは人の持って生まれた才能だからです。人間は期待するし、絶望もしますよね。

【長谷川】ええ。

【中島】でも、立ち直りますよね。それは意味を再構成したからです。
例えば、陸上選手が事故で脊髄損傷になり絶望する。しかし、ケアによって症状や生活が安定してくると、パラリンピックに自分も参加できるのではないかと思う。そこで努力が実りメダルをとれれば、交通事故は悪いことばかりではなかったという肯定的解釈となる。このようなナラティブ(物語)を書き換える、意味を再構成する能力を人は全員が持っています。医療はそれを促進するだけなのです。

【長谷川】それは先生が長年、変えることのできない現実と喪失に対峙する難病患者さんたちとお付き合いされてきた中で体験されたことなんですね。

【中島】そうです。このように考えるようになったのは2つの体験が大きいです。

「ステージ理論」を伝え患者が落胆

【中島】ネガティブな体験から言うと、米国留学後に大学院を修了して病院に赴任した時、私は万能感の塊でした。その頃に難病の患者団体から依頼を受け講演をしたのですが、そこで私は、難病になると徐々に口から食べられなくなり、経鼻胃管になり、人工呼吸器をつけて、死ぬ─という一種のステージ理論しか言うことができなかったのです。

【長谷川】それは紛れもない事実で…。

【中島】医師の業務から見た事実を言うことしかできず、患者さんは落胆するだけでした。何のために患者団体に呼ばれたのか、そこで喪失を感じ、ショックを受けました。そこからが私の修行でした。
次の体験は超難病の筋ジストロフィーです。20年程前まで平均寿命は20歳でしたが、今は治療薬ができたわけではないのに40歳くらいまで伸びています。患者さんにしていることは、症状コントロールと生活の支援です。心不全管理、呼吸と栄養療法、ADLのサポートだけです。それだけで、患者さんはいきいきし寿命も伸びました。この経験から、人間の適応能力の凄さと、生活環境を快適に保ち、思索したり意味を再構成したりして希望を持って生きること自体が、難病患者さんが長生きする秘訣であると分かったのです。

健康とは「問題に適応する能力」

【長谷川】先生は新しい健康概念を啓発されています。ご紹介いただけますか。

【中島】 WHO(世界保健機関)は健康について、「身体的、心理的、社会的に完全に良い状態(complete well-being)」と定義しています。これに対し、オランダのフーバー医師は、健康の定義を「問題に適応する能力」に変更することを提唱しました(下掲)。この新しい健康概念に私も賛同しています。



現代は医師も患者さんも、完全に良い状態になることに固執しすぎています。もちろん、治せる疾患を治す医療を否定しませんが、実際には「完全に良い状態」に普通なかなかなれません。

【長谷川】はい。特に難病の方に完全に良い状態を目指せというのは不可能ゆえに酷です。

【中島】完全にはなりません。実は英国では難病も緩和ケアの対象です。緩和ケアとは本来、ターミナルケアではなく、症状をコントロールして、意味の再構成を支援する喪失のケアです。

【長谷川】先生がお話しされる喪失のケアは、守りの医療ではなくて、人々がいかに幸せに生きるかという部分を非常に重視した、攻めの医療であると感じます。

【中島】そうかもしれないですね。当院では2014年に開棟した病棟を「こどもとおとなのための医療センター」という名称にしました。根底にあるのは、人間は何歳でもどんな病気でも、死の1秒前まで発達できるという「生涯発達」の考え方です。
新しい健康概念を踏まえれば、病気とは、外的・内的環境や感情的状態が変わり、適応する力が失われている状態です。ですから、医療的には症状をコントロールし、変化に適応できるように支援する。そのために多職種で対応するということが現代の大きな流れだと思います。

意味の再構成は本人しかできない

【長谷川】私は震災後に業務が大きく変化し、「俺は一体何をやっているんだろう」と思う時期が3〜4年ほど続きましたが、先生の考え方に触れ、腑に落ちました。変えることのできない環境変化に順応する過程で、無意識に意味の再構成をしてきた結果が今の自分なのだと。
現在福島は災害の亜急性期から慢性期に移行しています。住民の中には、変わってしまった現実に対して、意味の再構成が困難で、喪失を感じたままの方もいらっしゃると思います。何かアドバイスがありましたらお願いします。

【中島】意味の再構成を無理やりさせることはできません。生活基盤の支援など、適応能力を戻すための支援は必要ですが、意味を再構成するのは、その人の仕事だと思ったほうがいいです。

【長谷川】結局、その人自身の物語を紡ぐのは、その人にしかできない。その人なりの物語の背景があるので、それを妨げない。

【中島】妨げないことですね。聞いていて理解できない時に「それはどういう意味なの?」と言うのはいいのです。けれども「こうしたほうがいい」などと導かない。重要なことは、話、ナラティブを聞くということです。聞くことによって語り手は意味を深めていくことができる。それ自体が意味の再構成の作業と言えます。

【長谷川】非常に共感します。話をする、考える機会を提供することが、意味を再構成するきっかけになるわけですね。

【中島】そうです。ですから、個人面接も集会も必要です。意味の再構成を援助し、その人が行動しようとする時に成功するためにサポートする。行動した結果が成功すれば、自信という報酬になりますからね。そうしたら、次の一歩は自分で歩める。そこが大きな流れになってくると私は思います。
これは、実はHAL(写真)の開発理論と全く一緒です。HALは随意意思による正確な歩行を援助します。「ああ、自分も上手く歩けるんだ」と思い、次の一歩を踏み出すときも、また正しく歩けるということが分かる。そして、それを疲れなく繰り返していくと、神経回路が書き換わるのです。




【長谷川】中島先生の日頃の活動は医療だけではなく、変化に直面して悩む人たちへの具体的なアドバイスのように思います。

【中島】私は難病や災害後のコミュニティ、そして超高齢社会においても、普遍的に通用する考え方をお話しているつもりです。


災害に備えた事業計画は「全員救助」

【長谷川】新潟病院は2004年と07年に大地震を経験されました。9km先に柏崎刈羽原発もあります。現在はどのように災害に備えているのでしょうか。

【中島】事業継続計画のフィロソフィーをお伝えすると、現実の災害時には、最後に何かを選ばなければならなくなる瞬間が来るかもしれませんが、事前には全員が救われるように準備するということです。
例えば、4人が溺れていて救命ボートに座席が3つしかない場合、誰から順番に救助するかを事前に考えることが現代の医療倫理と言われています。分配の正義として生きる価値のある人を事前に順位づけておく。でも、難病医療ではそれはできない。そこで「その時は、臨時に4座席に改造しよう」と事前に考えておくのです。

【長谷川】納得します。急性期でリソースに乏しい時には分配の最適化も必要かもしれませんが、災害に備える時のコンセプトとしては、全員救助の方法を考えるべきですよね。

【中島】それをしておかないと、災害時だけでなく、災害前から職員が逃げ出してしまうのです。
私は看護師に倫理の話をする時に「東日本大震災ではALSの患者さんを2階に上げた看護師が津波に襲われ亡くなりました。だからといって今から、災害時に患者さんを救うのか自分を救うのか、決めないでください。私たちの病院は患者さんも職員も共に救われるように作りますから」と伝えます。そして職員が半分しか出勤できない場合は、誰かを棄てるのではなく、皆が生き残るために半分なりのことをする計画を立てておくのです。

【長谷川】福島県立医大で起きたことを紹介させてください。原子力災害が発生して職員が非常に動揺しました。その時に、山下俊一先生(現長崎大学長特別補佐)が「このままでは病院の医療が崩壊してしまう」と福島に単身来られて、病院の職員全員が一堂に会して話し合う機会を設けてくださいました。クライシスコミュニケーションです。自身の限界を超越した現実、喪失に打ちひしがれた一方で、今から考えると医療者として自分たちに何ができるかを考える、再構成のきっかけだったのですね。

【中島】それは正に意味の再構成の支援です。当院も中越地震、中越沖地震の後、特別に職員集会を開きました。再出発のための一種の儀式です。そこで交わされた会話で印象に残ったものは、「私達が生き残ったのは単なる偶然だったね」というものでした。

【長谷川】共感します。考えてみれば中越沖地震の時の柏崎刈羽原発からの汚染水漏洩は、福島での事故の予兆でした。


再構成しても自分自身は失われない

【長谷川】震災を経験して中島先生のお話を伺うと、災害医療において、変化への適応を支援し、その結果人々が幸福な物語を紡ぐ生き方を支援すること、そして自らもそれを実践することは医療者の一つの役割であると感じます。

【中島】災害が発生すると、多くの人は変化に適応できず、再生できなくなります。人、家庭、社会が喪失から再生、rehabilitate(復権)し、変化に適応できるように支援することが災害医療であり、災害対策の基本です。実はリハビリのabiliは、ability(能力)です。

【長谷川】なるほど!Re-abilityなのですね。

【中島】はい。元の所に戻すのがリハビリではなくて、別の場所でもいいのです。能力の回復を支援するのがリハビリです。

【長谷川】そう考えると、生きるということは再構成の連続なのかもしれないですね。

【中島】再構成とrehabilitateは一緒です。人間は再構成しながら再生していく。再生医療だけが再生ではなく、心の再生、機能の再生もある。シナプスネットワークの再生とはHALの治療メカニズムそのものです。

【長谷川】再構成して、書き換えられた結果が再生で、元と違う場所でも形でもいい。

【中島】はい。その時に「全く違う自分になっていると思わなくていいよ。一貫したあなたの個性、自分自身は決して失われないよ」とぜひ伝えてください。皆、自分らしさが失われることをとても嫌うので。

【長谷川】本日のお話は福島の医療者、住民が目指す一つの形を概念化したものではないかと感じています。私自身の体験は大したことではないですが、それでも、気づかぬうちに意味を再構成していたと振り返ることができたのは非常に大きな気づきでした。本日はありがとうございました。

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