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母なる自然 [フィロソフィア・メディカ2(13)]

No.4883 (2017年11月25日発行) P.66

中田 力 (新潟大学名誉教授・カリフォルニア大学名誉教授)

登録日: 2017-11-24

最終更新日: 2017-11-20

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山の神

中国神話における天地創造の神は盤古である。

その記載が『史記』にはないことから漢以降の時代に創作されたものであることは間違いないが、数少ない中国創生神話のひとつとして興味を惹かれる。天地ができる以前の混沌とした状態から盤古が出現したという記載は、ビッグバンからインフレーションを経てフェルミオン(fermion)1)が誕生したという量子力学とも共通するものがあり、人間の叡智の奥深さを感じさせる。

天地が創造されたあと盤古は亡くなり、その死体から万物が生成されたと伝えられている。息から風が、左目からは太陽が、右目からは月が、頭と体からは泰山、華山、衡山、恒山、嵩山の五岳が生まれたという。

この逸話は、日本神話を彷彿とさせる。伊弉諾尊が黄泉の国から戻った時に穢れを落とすために行った清めの作業が禊であるが、左目から天照大神、右目から月夜見尊、そして、鼻から素戔嗚尊が生まれたとされる。記紀の成立過程を考えると、恐らくは日本側がパクったものなのだろうが、日本という国家の起源を思うと意味深いものがある2)

言うまでもなく天照大神は太陽の化身であり、月夜見尊は月の化身である。そこまでは盤古神話も日本神話も同じということになる。素戔嗚尊がユニークと言えばユニークなのだが、素戔嗚尊が、結局のところ、母、伊弉冉尊のいる黄泉の国に赴き冥界の王となったことを考えると、やはり同じような話なのだと気づく。道教の五岳の筆頭とされた泰山もまた、天神が降り,死者の霊魂が寄り集う冥府がある霊山とされているからである。

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