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トラホーム消滅への歩み [炉辺閑話]

No.4837 (2017年01月07日発行) P.133

原田 清 (原田医院院長)

登録日: 2017-01-05

最終更新日: 2016-12-26

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小生は昭和24年1月、大阪府予防課に勤務し、トラホーム予防を担当した。トラホームはクラミジア・トラコマチスによる眼感染症で、当時、日本国中に蔓延し失明者が多く、撲滅のためにトラホーム予防法が公布されていた。しかし原因療法がなく、収斂薬の点眼処置での対症治療だけで、法律上、届出伝染病として管理されたが「治癒」がなく、眼科外来でも患者数の多い疾患であった。

当時の日本は終戦後で、生活が混乱し医療も資材が乏しく、感染症が多発していた。

この折、尼崎市に発疹チフスが発生し、駐留していたアメリカ軍からオーレオマイシンが提供され流行が止まった。これを報じた新聞に、トラホームを患っていた患者の眼疾患も治癒したという記事があった。今まで治癒がなかったトラホームであったため、頭に閃くものがあり、確かめたくなった。そして、追試したい気持ちになり、発売元の米国のレダリー研究所に手紙でオーレオマイシンの提供を申し入れ、内服、眼軟膏、点眼液を寄贈してもらい、大阪府下のトラホーム濃厚感染地区で集団治療を実施した。その結果、今までに治癒がなかったトラホームに「治癒」が出たのである。これは、日本だけでなく世界でも初めてのことで、驚いた。

トラホーム予防法は、大正8年に公布され、国民病として各地の自治体が診療所を設置し、全国的に撲滅対策を行っていたが、洗顔処置のみで感染源への対策はなく、いつまでも蔓延が続いていたのである。それが抗生物質の出現で、今まで存在しなかった治癒者が出たのである。

これが契機になり地域住民、学童、養護施設でトラホームの治療が行われ、社会保険診療でもオーレオマイシンの使用が認可された。全国的に月日の経過につれ眼科からトラホームの患者がなくなり、昭和58年にトラホーム予防法が公布64年で削除され、病名も消えた。新聞記事からのヒントで、予算がないのに薬剤を寄贈してもらい、治癒がなかった慢性感染症を消滅することができたが、この流れを考えると、化学療法であること、点眼で効果があり人手や設備が少なくても継続でき、副作用がない、などになる。

このことを契機にして、全国の小中学校に養護教諭が置かれ、学校医も内科だけでなく、眼科、耳鼻咽喉科、薬剤師が委嘱されるようになり、学校保健が向上した。もう70年近い昔のことだが、チャンスがあって良い仕事をさせてもらえたことを感謝し、今でも嬉しく思っている。

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