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坪井栄孝先生のご逝去を悼んで[追悼 坪井栄孝先生]

No.4792 (2016年02月27日発行) P.18

髙久史麿 (日本医学会長)

登録日: 2016-10-08

最終更新日: 2017-01-27

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坪井先生が4期8年にわたる日本医師会長の役を辞任された2004年に私が日本医学会長に就任したため、医学会長として坪井先生と直接お話しする機会は少なかった。ただ、私が会頭を務めた1999年の第25回日本医学会総会の前に『日本医事新報』の座談会で坪井先生から「25回の総会は医師会の先生方に参加しやすいテーマである」とお褒めいただいたことを記憶している。私の個人的な意見ではあるが、坪井先生の4期8年間は、日本医師会の活動のわが国の医療における重要性を社会に認識してもらう重要な時期であったと考えている。

坪井先生は会長就任の翌年、日医総研を設立されたが、この日医総研での研究結果がその後、日本医師会が様々な医療政策の提言を行うのに重要な役割を担ってきたと確信している。

私個人のことを申し上げて恐縮であるが、2012年に自治医科大学を退任してから時間の許す限り、毎週開かれる日本医師会の常任理事会に出席している。日医の副会長や常任理事の先生方は、政府の様々な委員会に幅広く出席されており、常任理事会では委員会の状況、日医としての意見を述べられている。そのことだけでも日医のわが国の医療政策への影響の大きさが実感され、このような状況の形成に、坪井先生は大きく貢献されたのだと推察している。また、日本医師会の小講堂に行くと歴代会長のお写真が飾られているが、私の目にはいつも武見太郎先生に次いで坪井先生のお写真が大きく映っていた。それだけ坪井先生の存在は大きかったと思う。

坪井先生との唯一の個人的な出会いは、私が日本医学会副会長の時代、東海道新幹線で先生の近くに座り、コンピューターに入れた英語の論文に夢中になっている私に、坪井先生がにこにこされながら、「お勉強ですなー」と話しかけられたことである。

また、私は現在、1カ月に1~2回、会津若松市にある福島県立医大の「会津医療センター」に行っている。通常新幹線で郡山市まで行き、大学の車で会津若松市まで行くが、郡山市に行くと「坪井先生はこの町におられるのだ」と思うことが多かった。しかし、坪井病院を表敬訪問することはなかった。会津に行く途中で一度でもお寄りして、ご尊顔を拝見しておけばよかったと今になって後悔している。

改めて、日本医師会長を歴任され、武見太郎先生以来の2度目の世界医師会長になられた坪井先生のご功績をたたえ、ご冥福を祈る次第である。

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