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インスリンと認知症改善

No.4771 (2015年10月03日発行) P.66

里 直行 (大阪大学大学院医学系研究科臨床遺伝子治療学 老年・腎臓内科学寄附講座准教授)

登録日: 2015-10-03

最終更新日: 2016-10-18

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【Q】

インスリンと認知症改善についてご教示下さい。
(1) インスリンを取り込むことで,ブドウ糖によって一時的に代謝が良くなるため認知機能が改善すると考えてよいのでしょうか。
(2) インスリン抵抗性とはどのように考えればよいのでしょうか。脳細胞のインスリン抵抗性と,筋肉などのインスリン抵抗性は同じであると考えてよいのでしょうか。
(3) ブドウ糖の代謝過程について。筋肉などに取り込まれたときと脳細胞に取り込まれたときでは違いがあるのでしょうか。 (群馬県E)

【A】

インスリン鼻腔投与の長期的な認知症改善効果を示唆したパイロット研究(文献1) の結果を受けて始まった大規模な臨床試験(The Study of Nasal Insulin in the Fight Against Forgetfulness:SNIFF)は現在進行中であり,実はその最終結果は出ていません(ClinicalTrials.gov)。
小規模ながらの研究では,アルツハイマー病のリスク遺伝子であるApoEε4陽性の患者ではインスリン鼻腔投与によって記銘力などの認知機能が良くなることが報告されています(文献2)。なぜこの研究において,ApoEε4陽性の患者のみに有効であったのかは不明です。いまだにSNIFF試験の最終結果が出ておらず,「インスリンによる長期の認知症改善」の有効性が認められるかどうかは不明ですが,「インスリンによる認知症改善」があったと仮定してそのメカニズムについて考察してみます。
インスリンの鼻腔投与は嗅神経のインスリン受容体に結合し,シグナルを活性化します。活性化された嗅神経を介して,大脳皮質・海馬を含む神経ネットワークがactivateされる可能性が考えられます(文献3)。
(1)ブドウ糖代謝と認知症改善の関係
一般的にブドウ糖が細胞に取り込まれる際には,インスリンに依存的なグルコース・トランスポーターを介する場合と非依存的なグルコース・トランスポーターを介する場合があります。
脳の神経細胞はインスリン非依存的なグルコース・トランスポーターGLUT-3を豊富に発現しており,筋肉と違い,インスリンがなくてもブドウ糖を取り込むことができます(文献4)。
一方,インスリン依存的なグルコース・トランスポーターGLUT-4も海馬や大脳皮質に発現していますが,鼻腔投与されたインスリンが脳の深部にある海馬や大脳皮質の神経細胞のインスリン受容体に到達し,結合することができるのか否かはいまだ確かめられていません。
いずれの機序にせよ,やはり,「インスリンによる長期の認知症改善」が認められるか,SNIFF試験の終了が見込まれている2016年以降の結果報告を待つ必要があります。
(2)インスリン抵抗性とは
たとえば,全身の「筋肉のインスリン抵抗性」と言った場合には,インスリンが筋肉細胞のインスリン受容体に結合してもその信号が細胞の中に伝わりにくい状態と考えられます。インスリン・シグナリングの伝わりにくい状態は,脳の神経細胞にもあると考えられています(文献5)。ただし,脳の神経細胞ではインスリンに依存しないグルコース・トランスポーターGLUT-3を介してブドウ糖を細胞内に取り込むことが可能です(文献4)。まず1点はこのことが筋肉細胞と異なります。
さらに全身のインスリン抵抗性では,恒常性を維持しようとして高インスリン血症になりますが,脳には血液脳関門があるため,インスリンの脳への移行が制限されており,また脳自体でのインスリン産生量はきわめて少ないことから,たとえインスリン抵抗性になっても脳内のインスリン・レベルは高くならないと考えられています。この2点において「脳のインスリン抵抗性」と「筋肉のインスリン抵抗性」とは異なると言えます。
次に「全身または筋肉のインスリン抵抗性」あるいは「脳のインスリン抵抗性」が認知症のリスクとなるかを考えます。久山町研究(文献6)では中年期の「全身のインスリン抵抗性」と高齢期(剖検時)の「神経変性を伴う老人斑」の有無が相関することが報告されました。また,最近の臨床研究ADNI(Alzheimer’s Disease Neuroimaging Initiative)においても,「全身のインスリン抵抗性」がある場合には,軽度認知機能障害からのアルツハイマー病への移行が起こりやすいことが報告されています(文献7)。すなわち「全身または筋肉のインスリン抵抗性」が認知症のリスクとなると考えられます。
一方,最近の久山町研究(文献8)では,アルツハイマー病患者の脳の遺伝子発現を調べたところ,糖尿病に関連した遺伝子の発現の変化が認められました。また,海馬のインスリン受容体の機能を欠損させ,「脳のインスリン抵抗性」を実験的に作成すると空間認知能力とシナプス可塑性が低下したとする報告があります(文献9)。このことから,「脳のインスリン抵抗性」も認知症のリスクとなると示唆されます。
(3)ブドウ糖の代謝過程
脳のエネルギー需要量は高く,全身で消費されるエネルギーの約20%です(文献10)。FDG-PET(fluorodeoxy glucose-positron emission tomography)で脳に集積性が高いことからも,脳のブドウ糖の取り込みが生理的に活発なことが再認識されます。前述のように脳神経細胞ではインスリンに依存せず,ブドウ糖を細胞に取り込めることも,脳のブドウ糖の取り込みが高いことに貢献していると考えられます。
ブドウ糖が脳の細胞に取り込まれると,筋肉細胞と同様に細胞質での解糖系とミトコンドリアでのTCA(tricarboxylic acid)回路(酸化的リン酸化が行われる)によってATP(アデノシン三リン酸)がつくられます。1個のブドウ糖から,解糖系では2個のATPが生成されるのに対して,TCA回路では30~36個のATPが生成されます。
さて,1960年頃,Hydenらにより,脳の細胞のうち,神経細胞では酸化的リン酸化の経路(すなわちTCA回路)が盛んであるのに対して,グリア細胞の一種であるアストロサイトでは解糖系が盛んであることが見出されました(文献11)。最近,この知見が再注目され,神経細胞とアストロサイトがエネルギー代謝においてともに協力していることが見出されています(文献10)。すなわち,アストロサイトに取り込まれたブドウ糖は,乳糖まで代謝され(解糖系),アストロサイトは乳糖を近隣の神経細胞に引き渡します。神経細胞に取り込まれた乳糖は,TCA回路でATPとなり,エネルギーとなります(文献10)。数の上でも,神経細胞とアストロサイトの数はヒトでほぼ対等であり,脳のブドウ糖の代謝は,神経細胞とアストロサイトとの連携プレーで成り立っていると考えられます。
それでは,神経細胞に取り込まれたブドウ糖はどう代謝されるのでしょうか。神経細胞では,ブドウ糖からグリコーゲンもつくられないことが知られています。神経細胞に取り込まれたブドウ糖の一部はもちろん解糖系へと真っ直ぐ進みますが,一部はペントースリン酸経路へと迂回して,還元剤であるNADPH(ニコチンアミドアデニンジヌクレオチドリン酸)を生成して,また解糖系の経路に再び合流します。そこで生成されたNA
DPHは還元剤の性質を利用して,活動性の高い神経細胞で産生される酸化ストレスを軽減する役割があります(文献12,13)。

【文献】


1) Craft S, et al:Arch Neurol. 2012;69(1):29-38.
2) Claxton A, et al:J Alzheimers Dis. 2015;44(3):897-906.
3) Marks DR, et al:J Neurosci. 2009;29(20):6734-51.
4) McEwen BS, et al:Eur J Pharmacol. 2004;490(1-3):13-24.
5) Sato N, et al:Curr Aging Sci. 2011;4(2):118-27.
6) Matsuzaki T, et al:Neurology. 2010;75(9):764-70.
7) Willette AA, et al:Diabetes. 2015;64(6):1933-40.
8) Hokama M, et al:Cereb Cortex. 2014;24(9):2476-88.
9) Grillo CA, et al:Diabetes. 2015 Jul 27. [Epub ahead of print]
10)Magistretti PJ, et al:Neuron. 2015;86(4):883-901.
11)Hamberger A, et al:J Cell Biol. 1963;16:521-5.
12)Herrero-Mendez A, et al:Nat Cell Biol. 2009;11(6):747-52.
13)Belanger M, et al:J Neurosci. 2011;31(50):18338-52.

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