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北里大・大村智氏にノーベル医学・生理学賞 - 寄生虫病の特効薬開発の功績で [日本人3人目]

No.4772 (2015年10月10日発行) P.7

登録日: 2015-10-10

最終更新日: 2016-11-24

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(概要) ノーベル医学・生理学賞に輝いた大村智北里大特別栄誉教授。5日の会見では、自然科学者として人の役に立つ研究を重んじる姿勢と失敗を恐れない精神の大切さを力強く語った。


大村氏の受賞理由は、「寄生虫によって引き起こされる感染症に対する新規治療法の発見」。大村氏と抗寄生虫薬を共同開発した米ドリュー大のウィリアム・キャンベル名誉研究フェロー、漢方材料の植物からマラリアに効果を持つ物質「アルテミシニン」を発見した中国中医科学院の屠呦呦首席研究員との同時受賞となった。

●熱帯の風土病から疥癬まで及ぶ恩恵
大村氏の打ち立てた功績は、有機合成化学、国際福祉、創薬開発など多岐にわたり、医学・生理学賞の選考基準である「人類に貢献する革新的発見」を満たして余りあるものだ。
大村氏は静岡県伊東市の土壌から新種の放線菌を発見。1979年にこの放線菌が生産する物質エバーメクチンに、寄生虫の神経系を麻痺させる作用があることも発見し、米国の製薬会社メルク社との共同研究で駆虫効果を高めた化学誘導体イベルメクチンを開発した。
イベルメクチンは81年に家畜用薬として発売されたが、その後、熱帯の寄生虫感染症で、失明に至る恐れのあるオンコセルカ症(河川盲目症)、象皮病を引き起こすリンパ系フィラリア症にも効果を示すことが判明した。
すると大村氏はイベルメクチンの特許ロイヤリティを放棄。WHOを通じ、2疾患の撲滅プログラムに薬剤の無償供与を始めた。イベルメクチンは年に1回服用するだけで効果が期待でき、懸念される副作用も少ない。この画期性により、毎年約3億人に投与され、昨年までに中南米ではオンコセルカ症の撲滅が宣言された。
イベルメクチンはヒゼンダニの駆除にも効果を発揮する。「ストロメクトール」の商品名で、疥癬治療の経口薬として広く使用されており、我が国の高齢者医療に少なからぬ恩恵を与え続けている。

●抗癌剤開発、生命現象の解明にも道拓く
大村氏は抗生物質生産菌のゲノム解析を成し遂げ、ゲノム情報から新たな有用酵素を探索する「ゲノムマイニング」による新規化合物合成の可能性を大きく広げた。1985年には世界で初めて遺伝子操作によって新規抗生物質を創り出すことに成功した。
大村氏がこれまでに発見した微生物由来の有機化合物は450種類以上。26種類は創薬開発や生命科学などの分野で実用化に至っている。代表的な物質としては、プロテアソーム阻害剤ラクタシスチン、抗癌剤「グリベック」の基礎化合物となったプロテインキナーゼ阻害剤スタウロスポリン、脂肪酸の生合成を阻害する唯一の研究試薬セルレニンがある。

●「大村方式」、日本の産学連携に先鞭
大村氏は1970年代にメルク社と共同研究契約を結び、日本の創薬研究開発における産学連携に先鞭をつけた存在でもある。
その契約は、自身の研究室で発見した微生物由来の化合物の特許を取得し、その使用権をメルク社に渡し、同社が薬剤として開発、製品として販売した場合には売上高に応じて北里研究所にロイヤリティが支払われるという内容だった。この方式は当時としては珍しく、「大村方式」とも呼ばれたが、現在では一般的な産学連携の契約の方式となっている。
この特許ロイヤリティによる収益で、財政苦に陥っていた北里研究所は再建され、研究体制の充実や北里大メディカルセンター(埼玉県北本市)の建設を実現している。

●「私は微生物の力を借りただけ」
受賞の一報から約2時間後の5日夜、大村氏は北里大薬学部(東京都港区)で会見に臨んだ。
自身の功績とノーベル賞受賞について、大村氏は「私の仕事は微生物の力を借りているだけ。私自身が何か偉いことや難しいことを成し遂げたわけではない。ただ微生物のことを勉強しながら今日までやってきた」と謙遜した。
研究者に向けたメッセージとしては、学生時代に熱中したスキーの練習法について、国体で優勝した選手から「自分で考え出さなければ勝つことはできない」と教わったエピソードを紹介し、「自然科学も同じで、他人の真似をするとそこで終わり。真似で他を超えることはできない」と語った。
学生や若い研究者に向けては、「やることは大体みな失敗する。しかし繰り返すうちにうまくいくことがある。それを味わえば何回失敗しても怖くない」と、失敗を恐れず挑戦する姿勢の大切さを説いた。

●北里博士から1世紀を越えて
北里研究所にとっても、今回の受賞は「世紀の悲願」達成となった。研究所を創立した北里柴三郎博士は破傷風菌の純粋培養に成功し、血清療法を確立した功績で、1901年の第1回ノーベル賞候補に選ばれたが、受賞は果たせなかった。
会見に同席した藤井清孝同研究所理事長はこのことに触れ、「その時は無念の涙を飲んだが、1世紀を越えて大村博士がその栄誉ある賞を受けられることは、非常に感慨深い」と語った。大村氏も会見で、「研究の上で分かれ道に差し掛かった時は、どちらがより人の役に立つかを基準に判断してきた」と述べ、北里博士の教えである「実学」の精神を「若い世代に伝え続けたい」と話した。

【記者の眼】会見場には学生たちも多数詰めかけ、記念撮影したり歓声を送るなど、和やかな雰囲気に包まれていた。大村氏は笑顔を見せつつ終始飄々とした語り口。座右の銘である「人の役に立つ仕事をする」を実践してきた研究者としてのスケールの大きさと優しさが伝わる会見だった。(F)

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