論文の査読依頼が山ほど来る。私が優秀な研究者だからでは「まったく」ない。単に、私の研究領域(薬の開発・規制)が伝統的な医学・薬学の狭間にあり、専門家が少ないだけのこと。
「査読には無条件で協力すべし」と刷り込まれてきたため、協力はする。が、最近の査読は楽しくない。はっきり言って苦行である。
読まされる論文が面白くない。いわゆる「サラミ・スライス」戦略(たとえば、まったく同じ方法の安全性分析を、対象とする薬だけを変えて、次々に異なる学術誌に投稿する戦略)が増えている。履歴書の論文数を増やすお手伝いをするのは気乗りしない。
表現にもうんざり。ほとんどの論文に「これは世界で初めての研究(unprecedented)」とある。論文数が爆発している現在、「初めて」の研究は減ってよさそうなものだが、この領域の研究者の創造性が急に高まった原因が私にはわからない。未知の惑星からの宇宙線か何かの影響かもしれない。
科学者なら耳タコの「相関と因果は別物」もほぼテキトーである。最近の因果推論科学の進化を知っているはずなのに、論文中では「引き起こす(cause)」「影響する(affect、impact)」の大安売り。「人類数千年の悩みの種、『因果関係』が見えるなんて、この著者って視力が8.0くらいあるのか?」と不思議なのだが、それを指摘したところで「この査読者って細かいこと言う奴だ」としか思われぬだろうから、放置する。
ニッチな私の領域のみならず、査読システムに支えられたメインストリームの科学が危機にあること─研究結果(含医学研究)のほとんどに再現性がないこと、p値ハッキング、アウトカムスイッチング、出版バイアス、相互引用等によるインパクトファクターやh指数の操作など─には本稿では触れられない。興味のある読者は参考文献をどうぞ。
科学者を論文で評価する社会の仕組みは簡単には変わらない。「私は超一流誌に〇本持ってる」「トータル100報持ってる」といった研究者の自慢合戦は続くのであろう(医学・薬学界の旧弊を批判する方々になぜかその手の物言いが多い気がする)。が、言うまでもなく、市民が科学論文に期待するのはその手のシグナル効果ではない。「その論文で治療が華々しい有効性を示した」ことでもない。「その論文が正直に真実を映し出している」ことである。そこがどうも怪しいのがわかってきたから、皆がため息をついている。ふー。
【参考文献】
▶ スチュアート・リッチー:Science fictions あなたが知らない科学の真実. ダイヤモンド社, 2024.
小野俊介(東京大学大学院薬学系研究科医薬品評価科学准教授)[サラミ・スライス戦略][因果関係][論文数]