松村真司 (松村医院院長)
登録日: 2025-06-11
最終更新日: 2025-06-10
高齢者の多くは複数の慢性疾患を抱えており、それぞれには推奨される治療法が存在している。しかし、たとえ単一の疾患に適切な治療法があったとしても、それらすべてを適用するのが最善であるとは限らない。ここが臨床医を日々悩ませる点である。もちろん患者、患者家族、周囲の状況などの要因を勘案した上で、意思決定を進めていくのが原則だが、認知機能が低下した高齢者などでは、治療内容の理解や継続的な実行に困難を生じることもあり、従来型の意思決定プロセスでは対応しきれないこともしばしばある。
こうした課題に対し、近年、「治療負担(treatment burden)」という概念が注目を集めている1)。Mayらは治療負担を「患者とその家族が健康管理と治療に関連して経験する労力、時間、費用、および他の損失」と定義し2)、治療方針の選択について包括的な視点を提唱した。たとえば、認知症の糖尿病患者に、医学的には厳格な血糖管理が推奨されたとしても、複雑な服薬スケジュール、頻回の血糖測定、費用 負担、通院の手間など、患者は治療継続に大きな苦痛を感じ、家族は日々の介護負担で疲弊することもあるだろう。このような場合、必ずしも推奨される治療法が最善とは限らない。治療負担そのものを軽減することはもちろん、適切なコミュニケーションを通じ、治療負担に配慮した方法を選択することや、ときには負担の大きな治療法は選択しないという、「引き算の医療」を行うことが望ましい場合もある。実際に、治療負担を考慮した医療を実践することで、患者満足度の向上、治療アドヒアランスの改善、医療費削減につながることが報告されている。
しかし、限られた医療資源と時間制約の中で、高度で複雑な意思決定をすべての医療者が行うことは容易ではない。さらに、治療負担を評価する上で、わが国特有の文化的背景、家族介護への期待、「我慢」や「遠慮」といった価値観を考慮することが必要になるケースもあろう。
多疾患併存状態にある高齢者に、真に最適な医療を提供しつつ、持続可能な医療システムを構築するためには、治療負担の評価方法と、その活用を通じた多角的な意思決定アプローチを確立することが、わが国の急務であると考える。
【文献】
1)Mair FS, et al:BMJ. 2014;349:g6680.
2)May C, et al:BMJ. 2009;339:b2803.
松村真司(松村医院院長)[治療負担]