株式会社日本医事新報社 株式会社日本医事新報社

CLOSE

【識者の眼】「人が移動するところ、感染症もついていく〜古くて新しい病気、梅毒」森内浩幸

No.5209 (2024年02月24日発行) P.64

森内浩幸 (長崎大学小児科主任教授)

登録日: 2024-02-09

最終更新日: 2024-02-09

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

コロンブスの一行が新大陸を発見(はっきり言ってヨーロッパ人目線)して間もなく、スペイン軍はアステカ・インカの大帝国を滅ぼした。でもそれはスペイン軍の近代兵器の威力ではなかった。彼らが新大陸に持ち込んだ新興感染症(アメリカ大陸原住民にとって)の痘瘡、麻疹、インフルエンザ、チフスの威力だった。これらの感染症(特に痘瘡)によって人口の約9割が死に絶えたというから、戦う前に決着がついていた。

ただヨーロッパ人も感染症を持ち込んだだけではない。持ち帰ったものがある。一説によると、梅毒はコロンブスの一行が新大陸からタバコとともに持ち帰ったそうだ。本当なら、1494年にヨーロッパに持ち込まれた梅毒は、その4年後の1498年にはバスコ・ダ・ガマの一行によって喜望峰を経てインドまで運ばれ、その7年後の1505年には中国に、そしてさらに7年後の1512年には倭寇によって日本にもたらされている。つまり、新興感染症「梅毒」は、当時の交通事情と感染形式(性行為が必要! 飛沫やら普通の接触では感染らない!)からは信じられない猛スピードでパンデミックを起こしたことになる。

一方、同時期に新大陸からもたらされたタバコがアジアに持ち込まれたのは16世紀終わりで、日本上陸は1601年と一世紀近い遅れをとっている。ちなみに種子島への鉄砲伝来は1543年なので、梅毒スピロヘータは弾よりも速かったことになる。コロンブスは「地球は丸い。黄金の国ジパングに行くには東回りではなく、西回りが近道のはずだ」と信じ、たどり着いた場所を勝手にインドと思い込んだ(したがって原住民をインディアンと呼んだ)が、実際はそこよりもはるか遠くにあったジパングに、コロンブスの代わりに彼らが持ち帰った梅毒がたどり着いたことになる。

梅毒は江戸時代、国民病だった。長崎大学医学部の祖である松本良順の著者によると一般庶民の罹患率は95%だった。特に遊女らの被害は大きく、『JIN-仁-』の作者は「せめて物語の中で彼女らを救ってあげたい」と考え、タイムスリップした脳神経外科医は青カビからペニシリンを抽出・精製し(それが途轍もなく難しいことだったから、成功したフローリーとチェインはフレミングとともにノーベル賞を受けたのに!)、治療に当たっている。

ともあれ、ペニシリンの普及とともに人類史上様々な場面で暗躍してきた梅毒はきわめて稀な疾患となった……はずだった。しかし皆さんご存知の通り、この10年ほど再び増加傾向に転じ、コロナのパンデミック開始後に少し足踏みしたもののこの数年はさらに増加傾向に拍車がかかり、1960年代以降最多となっている。コロナとは異なり感染しにくいはずの性感染症・梅毒のしぶとさを見るにつけ、人の業を感じてしまう。

梅のシーズンが近づいて来た。京から太宰府まで本当に飛んで来たのかは別として、毒のある梅は間違いなく壮大な時間と空間の旅を続けている。

森内浩幸(長崎大学小児科主任教授)[感染症の歴史][梅毒]

ご意見・ご感想はこちらより

関連記事・論文

もっと見る

関連書籍

もっと見る

関連求人情報

関連物件情報

もっと見る

page top