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男女平等に目覚めたとき[なかのとおるのええ加減でいきまっせ!(343)]

No.5054 (2021年03月06日発行) P.68

仲野 徹 (大阪大学病理学教授)

登録日: 2021-03-03

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オリンピックがらみで男女平等の問題がかまびすしい。あくまでも自己判断ではあるが、わたしは男女共同参画にかなり前向きな考え方を持っている。ただし、昔からかというと、決してそうではない。

相当に古くさい家の生まれである。男尊女卑とまではいかないが、男性優位な考え方が強かった。娘2人で子作りを終えたのだが、かなり歳をとるまで、親戚から「男の子はまだか」と聞かれ続けていたほどだ。

実は私も男の子が欲しかった。けど、産んでくれる人がハイと言わないのだからしかたがない。何でも言うことを聞く女の人と結婚するつもりだったのだが、人生は不如意である。同級生だった女性医師を配偶者に持ったことによって、男女平等の意識が次第に変わったことは間違いない。しかし、それ以上に決定的な出来事があった。

2006年、師匠である本庶佑先生がIUBMB(国際生化学・分子物学会議)の学会を京都で開催された時のことである。Young Scien-tist Programという、世界各国から100名ほどの優秀な若手研究者を招待するサテライトプログラムの責任者を仰せつかった。

全員がポスター発表をおこない、委員の投票でベストプレゼンテーション5つを決めた。後はパーティーでそれを発表して賞金を渡せば終わりと一息ついていた。そこへIUBMBトップのMary Osborn先生が登場。夫君と共にSDS-PAGEという極めて有用な方法を開発された女性研究者である。

この5人が優秀者ですとリストを見せた途端、烈火のごとく怒り出された。どうして女性が入っていないのか、と。は?「What do you mean?」と思ったが、もちろん口には出せない。いやいや、公明正大な選考の結果なのですが、と説明しても聞く耳なし。

賞金は私個人が出すから女性を1人選べと怒りが増幅する。それはなんとかいたしますのでと、あたふたと女性の最高位、確か次点で6位だった人も優秀者に追加した。

その時、考えが変わった。男女平等に対する姿勢、世界はここまで来ているのかと思った。それよりも、あまりの恐ろしさに、二度とこんな目に遭いたくないと思った。

以来15年。大学の女性教員比率も不十分、日本は遅れたままだ。お前は何をしたのだと言われると、何もしていないのが情けない。が、意識だけはむっちゃ高いと自負している。いや、ホンマに怖かったんですから。

なかののつぶやき
「この原稿を書くにあたり、Mary Osborn先生をWikipediaで調べてみました。すると、その華々しい研究経歴と共に『Support of women scientists』という項目があるやないですか。知らんかった。なるほど、そういう活動をしてこられた人やったんや。あの時は怖かったけど、いまとなっては本当にいい経験をさせてもらったと感謝いたしております。お目にかかってお礼を言いたいくらいです」

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