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なぜ大学院に進んだのか? 総合診療医10年目のチャレンジ[炉辺閑話]

No.5045 (2021年01月02日発行) P.82

長野広之 (京都大学大学院医学研究科医療経済学分野)

登録日: 2021-01-04

最終更新日: 2020-12-28

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「悔しいなあ。何か一つできるようになっても、またすぐ目の前に分厚い壁があるんだ(「鬼滅の刃」8巻より)」。

筆者は10年目の総合診療医である。昨年度までは市中の病院の総合診療医として研鑽を積んできた。まだ未熟な立場ながら、医学という分野は自分が働く前に想像していたより何倍も何十倍も幅広いと感じている。初めは目の前の患者さんを診るのが精一杯だったが、経験を積むにつれ自分の視点が患者さんだけでなく家族、地域、社会、そして文化へと広がっていくのを感じた。そして今年からはまた違った視点で医学を見つめ直すため、社会健康医学系の大学院博士課程に入った。今までほとんど考えたこともなかったこと(医療経済、医療の質、統計手法、論文の書き方etc.)を学んでいる。研修医1年目に戻ったような感覚で1日が終わると、疲れが尋常でなく眠る毎日である。

新しいことにチャレンジするのはいつも勇気がいる。「そんなことして何になるの?」と言われて何をしたいのか、何ができるようになるのか上手く答えられない自分もいる。そういう時に思い出すのが内田樹先生の「下流志向」という本に書いてあった以下の文章である「教育から受益する人間は、自分がどのような利益を得ているのかを、教育がある程度進行するまで場合によっては教育課程が終了するまで、言うことができない。(中略)今から学ぶことについて知らない状況で、どうして、その後自分がどの様になるのかがわかるという前提になるのか?」つまり、学ばない段階で自分がその学びからどういったことを得るのかは誰にもわからないということである。いくら考えてもわからないものなのだ。だから、新しいことにチャレンジするのを躊躇っている人がいたら、是非いろいろ考える前に一歩踏み出して欲しい。新たな学びから思ってもいなかったことが得られるはずである。

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