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When I’m Sixty-Three[なかのとおるのええ加減でいきまっせ!(296)]

No.5006 (2020年04月04日発行) P.65

仲野 徹 (大阪大学病理学教授)

登録日: 2020-04-01

最終更新日: 2020-03-31

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ビートルズの最高傑作アルバムとされる『Sgt. Pepper’s Lonely Hearts Club Band』にあるポール・マッカートニーの名曲『When I’m Sixty-Four』をご存じだろうか。

♪When I get older losing my hair
Many years from now …

と歌い出される軽やかなラブソングを初めて聞いたのは、大学に入った頃だった。当時、64歳などというのは永遠のような未来でしかなかった。それが今や63歳である。

なんや64歳とちゃうんか、とツッコまれそうだが、負けといてください。昔は定年が63歳で、本来ならばこの3月末で退職していたはず。だから、63歳の年度替わりはちょっとセンチメンタルなのであります。

誕生日は3月14日。同じ日に生まれた有名人一覧をネットで眺めてみると、アインシュタインとドイツが生んだ天才医学者ポール・エールリヒの名前がある。それより、女優の黒木華と同じという方がうれしいやないですか。そして、なんと、自分の名前もあって驚いた。どんな基準の有名人やねん。

教授に就任してすぐ、「この先25年もあると思ったら愕然とします」と大先輩に申し上げたら、「仲野君、心配せんでも、過ぎてしもたらあっという間やで」と慰めてもらえた。確かにそのとおりだった。

振り返ってみるたびに、想像していたより頑張れたと思うと同時に、もっと頑張ればよかったかと思う。自己肯定感が強いとの評価を受けることが多いが、けっこう謙虚でもある。とか言うから、やっぱり自己肯定感が、と思われてしまうんでしょうね。

先日、ある会合で、先生は若いころどんな人になりたいと思っておられたのですか、と尋ねられた。いきなりのことで即答できなかったのだが、ちょっと考えて思い出した。それは、仕事が楽ちんな医師、だ。

いまでは信じられないが、昔は、午後になったら医局で碁や将棋を指して遊んでいる高齢の先生が結構おられた。本当に、そういう風になりたいと思っていた。言い訳をするようだが、そんな楽なポストに就くために、一生懸命に勉強と仕事をがんばっていた。いま思えば、ちょっとけったいな若者やった。

定年まで残りの2年間をどうするか。まぁ、ここは昔の夢をかなえて、半分くらいは隠居みたいな気持ちで、若かりし頃に抱いていた理想通りに(?)ゆったりと仕事していけたらと考えておりまする。

なかののつぶやき
「2014年4月に始めたこの連載、まる6年となりました。これも、ひとえに読者の方々のおかげと心から感謝いたしております。年度替わりということで、イラストが刷新です。『其の258:希望と絶望(その1)─希望編』で紹介した、小学校高学年から中学校3年生までを対象にした「めばえ適塾」での講義の模様から描いてもらいました。自分では、活き活きしててええ感じやと思っています」

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