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精神医学的漱石論(6)─和辻哲郎[エッセイ]

No.4948 (2019年02月23日発行) P.66

高橋正雄 (筑波大学人間系)

登録日: 2019-02-24

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1950(昭和25)年に発表された『漱石の人物』(『埋もれた日本』新潮社刊)は、わが国を代表する哲学者の一人である和辻哲郎が漱石の精神病理を語った作品として、興味深い作品である。

このエッセイの中で、和辻は、「私が漱石と直接に接触したのは、漱石晩年の満3個年の間だけである」として、身近に漱石に接した3年間の思い出を記している。

そもそも和辻が初めて漱石山房を訪ねたのは1913(大正2)年11月頃で、この年の漱石は、朝日新聞に連載中の『行人』の執筆を一時中断したほど「病気つづき」だった。つまり、和辻が漱石の謦咳に接したのは、漱石が「神経衰弱」の最中にあって、幻聴や妄想に悩まされていた時期だったのである。

しかし、そんな漱石に会った時の印象を、和辻は次のように記している。「初めて漱石と対坐しても、私はそう窮屈には感じなかったように思う。応対は非常に柔らかで、気おきなく話せるように仕向けられた」、「相手の心持ちをいたわり、痛いところを避けるような心づかいを、行き届いてする人であった。だから私たちは非常に暖かい感じを受けた」。

和辻は、漱石の「神経衰弱」が悪かった時期に訪問したにもかかわらず、「癇癪を起こしたり、気ちがいじみたことをするようなところは、全然見えなかった」と証言しているのである。

ところが、漱石が亡くなって10年後、ベルリンで20歳になっていた漱石の長男・純一と出会った和辻は、漱石の意外な側面を打ち明けられる。「純一君と話しているうちに、漱石の話がたびたび出たが、純一君は漱石を癇癪持ちの気ちがいじみた男としてしか記憶していなかった」、「いくら私が、そうではない、漱石は良識に富んだ、穏やかな、円熟した紳士であったと説明しても、純一君は承知しなかった」、「子供のころ、まるで理由なしになぐられたり、どなられたりした話を、いくつでも持ち出して、反駁するばかりであった」。

こうした純一の態度に、「父親に対する憎悪さえも感じられた」という和辻は、「創作家の場合には、精神的疲労のために、そういう折檻が癇癪の爆発の形で現われやすいのであろう。しかしその欠点は母親が適当に補うことができる」、「純一君の場合は、母親がこの緩和につとめないで、むしろ父親の癇癪に対する反感を煽ったのではなかろうか」と、彼なりの解釈を加えている。

すなわち、和辻は、長男が漱石を「気ちがいじみた男」と見なしていることに対して、「10歳以前の子供に対する母親の影響」を想定するのだが、この推論にはいささかの問題がある。

というのも、和辻は漱石の病理を「癇癪」とするのみで、漱石の癇癪とはいかなるもので、その背後にはいかなる事情があったのかについての検討をしていないからである。したがって、和辻は、漱石の「癇癪」を、世間にありがちな癇癪の範疇でとらえ、妻の鏡子夫人が適切に対処しなかったから、長男の心に「気違いじみた癇癪持ち」として焼きつけられたと、あくまでも常識的な心理の範囲で理解しようとしている。

しかし、実際には当時の漱石に幻覚や妄想などの症状があったことを思うならば、子ども心にも不可解で理不尽に映った漱石の癇癪や暴力は、その背後にある幻覚や妄想の影響も含めて考えるのが自然ではあるまいか?

これに加えて、ベルリンで純一と会ってから2年後に鏡子夫人が発表した『漱石の思ひ出』(岩波書店刊)を読んだ和辻は、「その中に漱石を一種の精神病者として取り扱っている個所がある」とした上で、それに対する彼なりの意見を、次のように述べている。「そこに並べられているいろいろな事実から判断すると、夫人の観察は正しいと考えざるを得ないであろう」、「しかし実際に病気にかかったのであったならば、『吾輩は猫である』や『道草』などは書かれるはずがないと思う」。

しかし、この和辻の議論にも理解しがたいところがある。まず、漱石を精神病者扱いしている鏡子夫人の「観察は正しい」とするのならば、漱石精神病説にも一定の根拠があることになるが、和辻は、それ以上この問題を追究しようとはせず、長男が訴えていた理不尽な癇癪との関連も考えようとしない。

その一方で和辻がしているのは、病気ならば、『吾輩は猫である』や『道草』のような作品は書かれるはずがないという推論である。和辻は、「その時のことを客観的に描写し、それを分析したり批判したりすることができたということは、漱石が決して意識の常態を失っていなかった証拠」と、これらの作品に見られる客観性や分析・批判能力から、当時の漱石が病気だったとは考えられないとしているのだが、この推論にも問題がある。

そもそも、『吾輩は猫である』にせよ、『道草』にせよ、精神医学的には幻覚や妄想と思われる現象が現実そのものとして描かれるなど、主人公の神経衰弱に関わる部分の認識という点では不十分なところのある作品であるが、より根本的な問題は、和辻が、精神病者には客観的・批判的な作品は書けないという前提で、物を考えていることである。

確かに、幻覚や妄想の支配が圧倒的な場合は創造的な活動が困難になるにしても、漱石のように、正常と異常が入り混じったような比較的軽度の場合には創作活動も可能である、いや、漱石こそは、人は心病んでなお創造的たりうることを示した稀有の事例であることに、和辻の思いは及んでいない。

和辻は、正常か病気かという二者択一的な思考で考えてしまい、精神病の場合でも優れた創作はなしうるという病跡学的な発想を欠いているのである。そして、もしも和辻が、長男や鏡子夫人の証言に素直に耳を傾けて、そんな状態にありながらも、弟子たちには穏やかに接し、『吾輩は猫である』や『道草』のような傑作を書いた作家という観点から漱石を見ていたならば、彼の描く漱石像は一層輝きを増したのではないか、と惜しまれる。

なお、純一は、1969(昭和44)年に発表した『父の病気』(『文芸読本 夏目漱石』、河出書房新社刊)の中で、和辻や小宮豊隆ら漱石の弟子たちに、漱石には「尋常と思えないところ」があったと話すと、「それは君が可愛いから殴ったんだよ。異常だの尋常でないなど、とんでもない」と諭されたことに不満を抱き、「父の正常を主張する人達が父の神経衰弱の原因をすべて無知で無理解な母のせいにするのは少し酷ではないか」と、当事者ならではの思いを述べている。

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