ちょっとしたことで、時代が俺についてきたんとちゃうか、と思うことがある。たとえば、国王が来日し、ブータンがブームになった時。その何年か前に、ブータンへ旅行していただけのことなのであるが…。
世間では全く知られていないと思うが、たぶんラダックがブームになりつつあるような気がする。ラダック、なんやそれは、と思う人がほとんどだろう。インド北部にあるチベット文化圏の地域である。
今年の初め、夏休みにラダックへ行くことに決めた。日本語のガイドブックは1種類しかない。それも何年も前に出版されたものだった。しかし、それがつい最近改訂されたのだ。どう考えても快挙である。
もう1冊、『インパラの朝』(集英社文庫)で大宅壮一賞を受賞した中村安希による『ラダックの星』(潮出版社)が刊行された。世界でいちばん美しい星空を見るためにラダックの高地を歩くという内容である。
さまざまな出来事の中、亡くなった幼なじみのことが次々と思い出される。旅の最後に中村安希が見たものは何か。素晴らしくファンタジックなノンフィクションだ。
ほとんどなかったのに、行くと決めてから、ラダック関連本が2冊も出たのだ。やはり時代がついてきているとしか思えない。
炭酸水、以前はコンビニとかでも売ってない店がほとんどだった。ところがどうだ。ここ3~4年、状況は大きく変わり、今やどのコンビニでも複数メーカーの炭酸水が何種類も売られている。
ドイツに住んでいたころの習慣を帰国後も続けていて、炭酸水愛飲歴20年以上である。どうしてみんな炭酸水を飲もうとしないのか不思議に思っていた。なので、これについては、ブータンやラダックよりも、時代が俺についてきた感がはるかに強い。
自分ではあまり思っていないのだが、知人友人から、自己肯定感が強いと言われることがよくある。きっと、ここに書いた程度のことで時代が俺についてきたとかいうと、またお前は、と言われるに違いない。はたして読者の方たちはどう感じておられるだろう。ちょっと心配ではある。
でも、これくらいの自己肯定感は誰にも迷惑かけへんから、なんも問題ないですよね。と書きながら、そんなことを思うこと自体がやっぱり自己肯定かもしれんと反省しつつあったりします、ハイ。
なかののつぶやき
「夏休みのラダック行き、どんな星空が見られるか楽しみにしています。標高が高いので、高山病がちょっと心配ですが」