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高齢者の「今の生活」から「シェアリビングの生活」へ[炉辺閑話]

No.4889 (2018年01月06日発行) P.139

三谷玄悟 (伊豆あたらしき医療村理事長)

登録日: 2018-01-09

最終更新日: 2017-12-25

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高齢者が安心してこの社会で過ごしてゆくにはどうしたらよいのか、ということを個の立場『健康医学へのアプローチ』(2014, p117, 百年書房刊)、集団の立場〔病院. 2014;73(7):573〕から考える。それには今の社会では幾多の壁が予想される。しかし、実現は急務なことでもある。

最近ある老人施設で若い職員が「言うことをきいてくれない」と「切れ!」風呂場で溺れさせたとか聞く。認知症でわけのわからないことを言い、怒った老人にやさしくふるまえなかったのか。「いのちへの慈しみ」を大切にするはずの施設での出来事。

最近、国は「みとり」に対する手当を施設、在宅に給付、増額すると提案した。それなりに、このことは納得できよう。高齢者たちは「みとりの前」の元気な段階での生きがいのある「安心の環境」を望んでいる。国を待ってはいられない。それでは仲間がそれに向かって「みとり」にならない元気なうちに「安心の生活の場」づくりができないだろうか。そこで、試みはじめたのがシェアリビングだ。

往年の地位、名誉はもう忘れてみんな仲良し。気の合った仲間がささやかに始めたシェアハウス。みんなで、ささやかな出費で広い自然のある所、温泉、海や山々に恵まれた所にご縁があった。大自然を耕し、犬、猫とともに生活すれば生きもの同士の思いやりを知る。霊鳥ウコッケイの卵で精気をとりもどし、生まれたヒヨコたちがそこかしこに走り廻るのを見るにつけ笑顔がこぼれる。親鳥が子を慈しむ姿をみる。みんな健康な長寿を願う。その「甘い果実」はゆっくりとしか実らない。夕餉には楽しく仲間と語り合う。皆それぞれ来し方を語り合う。「自分の人生は半分以上が失敗だった」とある老人は言う。「満帆の生活ではなかったがそこそこに乗り切った往年の生きざまを顧りみている」と。

地味で質素ながら豊かな楽しい仲間の生活(共生)が始まっているではないか。そこには、しみじみとした安心のたたずまい「しあわせ」を感じるのだ。みんなのさらりとした「合掌」の仕草は食事の前だけ。濃厚な宗教の仕草「儀式」はもはやいらないかも知れない。しあわせの哲学書(ヒルティなど)は今さら紐解くことはなさそうだ。

新年にあたって初夢と旧年の過ごした姿を顧りみた。

伊豆南・里山の会(稲葉、渡辺、紙屋、嶋津、内田、峰谷、三谷)

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