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“医療否定本”ブームを考える③ 情報提供のあり方が問われている【OPINION】

No.4686 (2014年02月15日発行) P.20

山口育子 (NPO法人ささえあい医療人権センターCOML理事長)

登録日: 2014-02-15

最終更新日: 2017-09-15

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1990年に日本医師会生命倫理懇談会が「インフォームド・コンセント」を「説明と同意」と訳して紹介してから四半世紀近くが経とうとしています。同年に活動をスタートした私たちCOMLは、インフォームド・コンセントの普及とともに、情報の氾濫、患者の権利・コスト意識の芽生え、医療不信の高まりといった患者を取り巻く環境が目まぐるしく変化するなかで歩んできました。

電話相談から見えてきた“真相”

確かに今では、インフォームド・コンセントは医療現場のなかに「重視すべきこと」「必要な行為」として定着してきました。にもかかわらず、COMLの日常の活動の柱である電話相談には「説明不足」を訴える患者・家族の声が後を絶ちません。

ここ数年、私自身が個人的に医療を受けた経験では、丁寧に説明してくれないドクターはほぼいませんでした。それだけに「未だに説明をしないドクターがそれほど多いのだろうか」と疑問を覚え、3〜4年前から説明不足を訴える相談者には、「本当に説明の時間を取ってもらえなかったのですか?」と確認するようにしてみました。

すると、ほとんどの方が「説明は1時間ぐらい受けました」と答えるのです。1時間も説明を受けていれば、当然ながら聞かされているだろうと思う内容を「聞いていない」と主張される。そこで、さらに詳しく相談者の話に耳を傾けてみると、ようやく見えてきた“真相”があります。

本来インフォームド・コンセントとは、どんな病気でも病状でも「患者が求めれば説明を受ける権利がある」という考えから生まれてきた概念です。ところが、日本に導入されて以来、「説明すること」と解釈され浸透してきました。そのため、日本の医療現場におけるほとんどのインフォームド・コンセントは、医療者が必要と思った内容を一方的に患者に説明しているのです。そこに、患者の自己決定を重視しなければならない風潮も高まり、特に急性期の治療が必要な患者には、専門的で詳細な内容が1時間以上かけて口頭で説明されています。

しかし、そうして長時間かけて行われる説明内容をその場で理解し、記憶にとどめられる患者のほうが少数派です。そうすると、「理解できなかった」内容が、結果的に「聞いていない」になっている─。それが、最近の説明不足を訴える相談者の大半なのです。

インターネットが普及し、患者側も医療者と同じレベルの専門的な情報を手に入れることが可能になりました。しかし、そこまでインターネットを使いこなせる人はまだ一部です。専門的な情報を入手できたとしても、その理解能力には個人差があり、誤った情報を鵜呑みにしている患者も増えています。さらに高齢化が進むなか、理解力・判断力の低下も否めません。

つまり、情報に対するアクセス能力、理解力などが患者によって二極化してきているというのが、相談を受けていて強く感じる印象です。

患者はマスメディアから大きな影響を受けている

そうしたなか、患者側の医療に対する意識に大きな影響を及ぼしてきたのが、マスメディアによる報道です。

特に“医療安全元年”と呼ばれている1999年、新聞や週刊誌は医療事故・ミスについて連日のように報道しました。テレビには病院管理職の謝罪会見がしょっちゅう映し出されていました。頻繁に目にするそれらの報道によって、「最近の病院は事故が多いらしい」「治らないのはミスがあったからに違いない」といった不信感が国民の間で高まりました。2003〜04年には医療訴訟件数も過去最高になるほど、患者側の厳しい目が医療現場に向けられるようになりました。

医療現場に疲弊感が蔓延し、防衛的になって、悲鳴が上がり、ようやくマスメディアでは“医療崩壊”と題して、医師不足や小児科・産科・救急医療の危機をはじめとした医療現場の実態を報道するようになりました。それにより、医療事故・ミスの報道が突然影を潜めるようになったのです。それに見事に呼応するかのように、COMLに届く相談も、医療訴訟を望むものが激減しました。

24年にわたり5万3000件を超える電話相談に耳を傾けてきて、患者側の意識はマスメディアに大きな影響を受けていると痛感させられてきました。これは医療に限ったことではありませんが、社会全体が時の流行り廃りにとても左右されているように思えます。一般的には“世論”と呼ばれていますが、果たして本当に人々が自分たちで考えて発している世論なのだろうか。政治にしても食品などの社会問題にしても、報道されている内容に飛びつき、同じ方向を向いているに過ぎないのではないか─。

長年の電話相談を通して社会を見ると、そのような疑問を禁じ得ないのが正直な気持ちです。特に最近は流行り廃りの周期が短くなり、つい先日問題になったことがすぐ過去の出来事となり見向きもされなくなっています。情報の量ばかり増え、情報の波に翻弄されているのが、今を生きる私たちの姿なのではないでしょうか。

患者が“極端な意見”を盲信しないために

そういう時代になると、“極端な意見”“断定的な意見”“大きな声”が目立ち、時には「分かりやすい」と評されます。多くの人は曖昧ななかに身を委ねるより“答え”がほしいのです。医療に対しても信用できなかったり、納得いく結果が得られなかったり、疑問を抱いたりすると、医療を「否定」する考えに惹かれるのではないかと思います。実際に“医療否定本”を信じ、取り返しのつかない状態になって悩み、悲しんで相談してこられる方と何人も出会ってきました。

治療を受けるうえで、選択肢が複数ある時代になりました。セカンドオピニオンを求めることも一般的になりつつあり、複数のドクターの意見を聞くと、異なる意見が語られることも起こり得ます。つまり、医療を受けるうえで“正しい答え”が1つあるわけではないのです。

しかし、患者にはそのなかから1つを選ぶという厳しさが求められます。前提となる状況を理解しないまま、複数の選択肢を提示されたり、異なる意見を出されたりすると、「どれが正しいのか」「意見が異なるなんてけしからん」と受け止めてしまうのではないかと思います。

もちろん、医療は完璧なものでも絶対的なものでもありません。しかし、完全に「否定」するものでもないはずです。医療の不確実性と限界を患者側も受け止め、「私の病気は医療の力でどこまで回復することができるのか」という視点で捉えていくことが大切ではないか。それが、冷静に医療と向き合うためのポイントであると思うのです。

そのために必要な情報や知識を患者側に提供する場や媒体が、今までほとんどありませんでした。患者が極端な意見を盲信しないためにも、自分に必要な医療とは何かを冷静に考え見極められるような情報提供のあり方が、社会として問われていると思います。

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