日本の医療界を長年にわたり牽引してきた聖路加国際病院名誉院長の日野原重明氏(105歳)が18日、呼吸不全のため逝去した。前日本医学会長の髙久史麿氏、東大名誉教授の黒川清氏、インターン時代に教えを受けた慶大名誉教授の猿田享男氏、日本医師会会長の横倉義武氏に故人との思い出を寄せていただいた。
日野原先生は京都帝国大学医学部をご卒業後、聖路加国際病院に勤められ、そこを拠点にして医療に関して様々なご発言をされて来られた。一方私は卒業後、国立病院医療センター(当時)の病院長、総長を務めた以外はもっぱら大学で働き、その後日本医学会会長を務めてきたので日野原先生と直接お話する機会はほとんどなく、財団関係の委員会などで同席する位であった。
私が日野原先生のご慧眼に感服したのは、2000年に始まった厚生省(当時)の第一次「健康日本21」運動の企画検討会の座長を務めた際のこと。従来「成人病」と呼ばれた疾患を「生活習慣病」と呼ぶ事にしたが、その根拠は日野原先生が1970年代からすでに脳卒中や心臓病を「習慣病」と呼ばれており、そうした日野原先生のお考えに基づいたものであった事である。
また、カナダに生まれ、北米や英国で活躍されたWilliam Osler先生(1849-1919)を日野原先生は尊敬しておられ、Osler先生の「医学は科学に支えられたアートである」という言葉をよく引用されていたと聞いている。日野原先生はOsler先生の医学教育者としての偉大さに注目され、自ら「日本オスラー協会」の理事長になられた。Osler先生のお名前とそのお考えをわが国に広く知らしめた日野原先生のご功績はまことに賞賛に値するものといえよう。
日野原先生は常に新しい事に挑戦されてこられた。例えばご自身で度々訪米され、米国の新しい考えを日本に紹介された。私の記憶に間違いがなければ、Evidence based medicine(EBM)の理念をわが国に導入されたのも日野原先生だったと思う。この他、日野原先生は2000年に「新老人の会」を作られ、先頭に立ってその会を運営されるなど、ご年齢から考えて信じられないほど活動的な方であった。
2015年4月に京都にて開催の「第29回日本医学会総会関西」で、日野原先生は特別講演をされた。その時車椅子で来られたがご講演は立位でされ、お声が大きくお話の内容も明確であった。私が日野原先生にお会いした最後の機会であった。
常に自ら先頭に立ってわが国の医療を牽引してこられた日野原先生を失った事は、わが国にとって大きな損失である。日野原先生のご冥福を心からお祈りする次第である。
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