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古井由吉の『親』(2)─続・文学にみる医師像

No.4855 (2017年05月13日発行) P.68

高橋正雄 (筑波大学人間系)

登録日: 2017-05-14

最終更新日: 2017-05-09

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  • 1979(昭和54)年に発表された古井由吉の『親』の『道』に続く『葛』と『宿』という章には、精神科の閉鎖病棟から開放病棟に移った妻と、開放病棟における精神科医の姿が描かれている。

    半月余りの閉鎖病棟での治療を終えて、主人公の妻を開放病棟に移した主治医は、「ここはどの扉にも鍵がかかっていないので、階下の広間へ行くのも中庭へ行くのも自由だが、それはあなたを信頼してのことであり、何のために病院にいるかをよく自覚して療養に努めてもらいたい、すでに一般社会の場にいると考えて規則は守ってもらいたい」と諭した。

    27歳の妻の同室には、20代後半の女性が3人いたが、医師は、主人公に向かって、「面会のすくない同室者もあることなので」と、仄めかした。3人の同室者とも病院に出たり入ったりで入院暮しが長く、子どもがいる者もいると聞かされた主人公は、子ども連れで面会にくることは遠慮すべきなのだろうと察したが、幼い子どもを預ける当てもない彼にはどうしようもなかった。

    2度目の面会時に、医師は、妻の状態を、「開放病棟へ昇格したのですこしはりきりすぎている」と、笑いながら話した。「医者や看護婦の指示をいちいち几帳面に守るのはよいのだが、全体にぎこちなくて、ほどほどということを知らない。もうすこし余裕を持ちなさいと言ってやると、それはどうすればいいのですか、と勢い込んでたずねる。神妙であることを人に認められさえすれば病気はなおると思いこんでいる節が見える」。

    医師はまた、妻が素直なので同室の患者に可愛がられていると語ったが、幾度も逆戻りを繰り返してきた同室者の目に、妻のように一息に這い上がろうとしている者がどう映るかと考えた主人公は、そこには憎いような気持ちも含まれているのではないかと懸念した。

    ある晩、主人公に、病院の看護師から、手に負えないので、妻の話を聞いてくれという電話がかかってきた。そのとき妻は、自分と夫との関係について、「誰かが間に入って画策している」と訴え、主人公から電話で諭されて受話器を置くときには、「あの人のところまではまだ手が延びていないようだわ」とつぶやいたというから、このときの妻には被害妄想があったと思われる。しかし、翌日主人公と面会した医師は、「昨夜の行為そのものは、たしかにそう妄想しています」と認めながらも、最近の妻は妄想から脱却したとして、次のように評価する姿勢を示した。「自分には身寄りがないもので主人を頼りすぎる、そのことが自分で不安になって、主人を失うような妄想に振り回されてしまった、と入院の10日目には自分からきっぱり打明けて、それ以来もう揺るがない」。

    その上で医師は、「とにかく様子を見ましょう。すべては流れの中にあることですから。流れがよじれてさえいなければよいと考えてください。勝気な方ですから、自身の力で病気に始末をつけたいという気持が、他人と話をつける行為の型となってあらわれたのかもしれませんし、それで気が済むのかもしれません。回復と復帰のための儀式、というものもあるのです」と今後の方針を述べた。

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