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岡 一男の『紫式部の研究』: 国文学と病跡学の接点 [エッセイ]

No.4750 (2015年05月09日発行) P.68

高橋正雄 (筑波大学人間系教授)

登録日: 2016-09-08

最終更新日: 2017-02-20

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  • 筆者は以前、本欄(第4668号、2013)において、1968(昭和43)年に発表された『花山院の生涯』1)は、今井源衛という国文学の泰斗が精神医学的な観点から花山院を論じた、国文学と病跡学の接点に位置する作品であるという趣旨の論考2)を発表したが、その後、国文学関係の文献を渉猟する中で、もう1つ注目すべき作品があることに気づいた。1947(昭和22)年に国文学者で早稲田大学教授の岡 一男(1900~1981)が発表した『紫式部の研究』3)である。『紫式部の研究』の中の病跡学的に注目される記述を列挙すると、以下のようになる。



    ①「序説」10頁。「欧人は、例えばメービウスも、ワイニンゲルも、女性に天才なしというが、紫式部こそは、このヨーロッパ的原則の断乎たる違反者で、女性でありながら世界最初の、そして有数の卓越した長編小説家たる栄誉を荷う、疑いなき天才であった」と、ドイツの病跡学者メビウスの名前を引き合いに出しながら、男性主体の西欧の天才論に異を唱えている。

    ②「序説」23頁。「六條御息所や髭黒の先妻の、嫉妬やヒステリーの発作における二重人格の描写はよく出来ている。また主人公の性格の根柢にあるマザー・コムプレックスも驚くべき深刻さをもって描いてある」と、ヒステリーや二重人格、マザー・コンプレックスなどの精神医学的・精神分析的な概念を用いて『源氏物語』を解釈している。

    ③「序説」26頁。「『源氏物語』の心理描写の真意義の如きも、フロイドの精神分析学やクレッチュマーの性格学の如き新しい学説によって髣髴されるだけで、これらの科学がもっと進歩発達しないとその全面を科学的に分析しえないのである。すなわち、彼女の芸術には現代の科学を越えた深さと精緻さと真実さをもった人生の表現がある」と、『源氏物語』には、フロイトやクレッチマーの学説以上に、人間や人生の真実をとらえた側面があると、評価している。

    ④本論「紫式部の家系及び家族」58~59頁。「ドイツの性格学者クレッチュマーは、天才の出現の条件として家系の優秀や環境の良好なことや、日常的努力が必要なほかに、遺伝胚種の末期的頽廃から生ずる精神病的素質が不可欠であるといっているが、紫式部の家系に文学的才人の多いこと、その家族に夭折者の少なくないこと、また紫式部自身はもっとも日常性を尊んだ努力家であったことが、その卓越した天才を発現した大きな素因であった」と、クレッチマーの天才論に依拠しながら、紫式部天才の由縁を説明している。

    ⑤本論「紫式部の少女時代及び文芸的環境」61頁。幼い式部が、一緒に学んでいた兄よりも非凡な学習能力を発揮するのを見た父が、「男子にてもたらぬこそ幸なかりけれ」と嘆いたというエピソードから、「この父の言葉が、紫式部をしてファザー・コムプレックスと女性劣等感と男子拮抗の錯綜を幼ない深部心理に強く植えつけさせた」と指摘するなど、式部にはファザー・コンプレックスや女性としての劣等感、男性への対抗意識があったとしている。

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