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【識者の眼】「病院の家族面会を再会して気づいた、大切なこと(後編)」小豆畑丈夫

No.5126 (2022年07月23日発行) P.59

小豆畑丈夫 (青燈会小豆畑病院理事長・病院長)

登録日: 2022-06-23

最終更新日: 2022-06-23

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前回は、当院で患者-家族の対面面会を再開した結果、患者さんとその家族の笑顔が私達医療者にとって大切なものであったという気づきについて書きました。

今回(後編)は、私達の力不足で、患者さんの命を守れなかったエピソードから、医療における家族の意義を考えてみたいと思います。

悲しいお別れです。ご家族をベッドサイドにお呼びして、最後の時間になります。面会制限下では、本当に命が終わるぎりぎりにならないとご家族を病室に案内することができませんでした。でも、家族面会を可能とした今では、余裕を持ってご家族をお呼びできます。そうすると、医師達は、焦ることなくゆっくりと、患者さんの容体と私たちができることを説明できます。自然と患者さんのそばに立つ時間が長くなります。ご家族の悲しい気持ちを少しだけ、分かち合うことができます。面会を制限していたときには、患者さんの最後の時間に臨むとき、なにか後ろめたさが残っていました。「僕は、この人にきちんと向き合ってきたのだろうか」という気持ちです。ご家族の悲しみを共有する時間を少しだけいただけることで、私達医療者は、自分の無力さに苛まれることを許されていたのかもしれません。

新型コロナが医療の世界にもたらした変化を、私達はまだ客観視できていません。でも、おそらく、私達に最もダメージを与えた変化は、患者家族を医療から排除せざるをえなかったことではないのでしょうか?

人は必ず死にます。誰もが認める事実です。それなのに、人の命を守るのが医療なのですから、なんと、無残な宿命を持った仕事なのでしょう。私たち医療者は、患者さんとその家族に、笑顔で励まされ、悲しい時間を共有することで許されてきていたのだ、と思います。それが、医療という仕事が存在する上で、唯一の救いなのかもしれません。家族を排除した医療は、医療者から「医療という仕事への希望」を奪ってしまうのだと思います。

面会を再開して、約1カ月が過ぎました。沈んでいた私の心が少しずつ、軽くなってきています。ご家族がいる病院で仕事をしていて、「僕は、これで医者を続けられる」と思えています。そして、医療者が決して手放してはいけないものは何なのか、知ることができました。皮肉にも、新型コロナウイルスからとても大切なことを教えられました。私は、このことを次の世代にもきちんと伝えていかなくてはいけないと強く感じています。

小豆畑丈夫(青燈会小豆畑病院理事長・病院長)[医療の正義⑩]

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