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【識者の眼】「絶対権力者の性格変化─豊臣秀吉」早川 智

No.5111 (2022年04月09日発行) P.57

早川 智 (日本大学医学部病態病理学系微生物学分野教授)

登録日: 2022-03-29

最終更新日: 2022-03-29

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4月は若手医師が研修医を終えて、専攻を決めてどこかに入局する季節でもある。数年から場合によっては10年以上、修行を続けるには学問的興味に加えて、入局先の教授や部長・医長との相性は大きい。

戦国時代末の三大英傑、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康が指導教授だったら、と考えたことがある。織田信長の下だと、革新的な良い仕事ができる可能性がある一方、いつ首が飛ぶかわからない。徳川家康は指導者本人が必ず学長や学会の理事長になるだろうし、ついてゆけばどこかの教授や病院長のポストにつけてくれるだろうが、あまり楽しい医局生活ではなさそうな気がする。その点、豊臣秀吉は楽しそうである。ただし、本能寺の変から天下をとるまで、そして人々を集めた吉野の花見までに限定される。草履とりの身分から徒手空拳で成り上がり、関白となった秀吉の戦略眼と政治力、皇族や公家などの宮廷人から同僚武将、さらに庶民の心を掴んだ「人蕩し」の技は目を見張るべきものがある。しかし、最大のライバルだった徳川家康を屈服させ、九州の島津氏や小田原北条氏を下した後は、御意見番だった千利休の賜死、大義名分も戦略構想もない朝鮮出兵、一時期は後継者に目していた関白秀次とその一族の虐殺など、際限なく坂道を下って行く。

英邁だった秀吉の異常行動の原因は何だったのだろうか。アルツハイマー病や脳血管障害などによる認知症などの説はあるが、現代医学的な診断は難しい。最晩年まである程度の認知機能や見当識は保たれていたようだが、気分の変動、特に易怒性や疑い深さと残虐性が目立ってくる。一般に、老年の性格変化として角が取れて円満になる人がいる一方、若い時の性格が先鋭化する人や、若い時は気を遣う「いい人」が逆に反動化することもある。秀吉は最後のパターンのようである。晩年の秀吉は天下人として当時最高の医療を受けるが慶長3年61歳で没している。

晩年には尿失禁や不眠、るい痩、慢性の下痢と摂食障害などの記録がある。彼の死因については富士川游博士、服部敏良博士、杉浦守邦博士などそうそうたる医学史家から脳動脈硬化と多発性梗塞、結核や悪性腫瘍などの慢性消耗性疾患、慢性尿毒症や肝不全などの説が提唱されているが、どれも決定打に欠ける。いずれにせよ、絶対的な権力者が心身の健康を問題視されてもその地位を退かず隣国に攻め入ったり内政を恣にするというのは、500年前だけでなく現代でも起きていることが恐ろしい。

早川 智(日本大学医学部病態病理学系微生物学分野教授)[指導者][医史]

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