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【識者の眼】「89歳にして施設入居、高齢者施策の充実とスタッフのご助力に感謝」佐藤敏信

No.5042 (2020年12月12日発行) P.66

佐藤敏信 (久留米大学特命教授、元厚生労働省健康局長)

登録日: 2020-11-20

最終更新日: 2020-11-20

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前号(No.5036)で書いたように、母は、まず膝関節、そして上腕骨と骨折し、そのたびに鹿子生整形外科にお願いして、何とか大事には至らずにすみ、退院して自宅に戻れていた。

厚生労働省退官後しばらくしてから、私が、週3日は母が暮らす福岡に戻るようになり、完全には独居でなくなったのだが、残りの4日、私が東京にいる時に腕を骨折した。起床後立ち上がろうとして転んだらしい。幸いなことに、鹿子生整形外科のデイケアの日だったので、迎えの方に「発見」していただき、そのまま入院となった。

回復にはずいぶんと時間がかかり、いよいよ退院となる頃に、母の言動にそれまでとは違う変化があった。まず、「もう退院しないといけないのかな?」と言い出した。それでも退院となり、自宅に戻れば大いに喜ぶのかと思ったら、ドアを開けて部屋に入った瞬間に、これまで見たことのないような不安そうな顔をした。私も、その表情から、「一人で生活していくことにさすがに自信がなくなったのだな」と察知した。元々、鹿子生先生からも担当のケア・マネジャーさんからも「佐藤さん、もうそろそろ独居も限界じゃないですか?」と言われていた。万一の場合にと紹介されていたサービス付き高齢者住宅にすぐに連絡をし、日を置かずに入居させてもらった。こうして、父の死後、79歳から89歳まで10年にわたった母の独居生活は終わった。私自身も、たとえ週の半分とはいえ母の傍で生活をと思っていたのだが、わずか1年と数カ月で終わり、しばらくは寂しいようなほっとしたような複雑な心境だった。

それにしても、母は以前から「自分は、高齢者施設のようなところには絶対行かないんだ」と言い続けていたので、逃げ出したり、泣きわめいたりするのではないかと、相当に心配した。ところが、入居当日こそ「そろそろ自宅に帰ろう」と言っていたのだが、翌日には落ち着いた風だった。

入居してはや2年半が経とうとしている。母にとって、また我々家族にとって、それが最良の選択だったかどうかは分からないが、この間、骨折のような重大事故は全くない。本人もすっかりなじんでいる。ありがたいことに、自宅から徒歩5分の距離なので、毎日でも会いに行ける。さらにありがたいのは、入浴と「下の世話」である。家族と言えども、適時適切に粗相への対応ができるわけではない。介護保険が創設されてたかだか20年だが、一連の高齢者施策の充実ぶりとそれに関わるスタッフの皆様のご助力に感謝している。

佐藤敏信(久留米大学特命教授、元厚生労働省健康局長)[介護保険]

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