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第135回ドイツ外科学会に参加して[エッセイ]

No.4942 (2019年01月12日発行) P.68

岡田昌義 (日本血管内治療学会理事長)

登録日: 2019-01-13

最終更新日: 2019-01-09

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2018年の第135回ドイツ外科学会は、4月17~20日、ドイツの首都ベルリンで、チュビンゲン大学小児外科のJörg Fuchs教授を会長として華々しく開催された。

学会前日の19時30分から、ベルリンのMuseum für Kommunikation(通信博物館)で会長招宴が始まった。ここの玄関口は非常に広く、200人ぐらいが入れるほどのスペースがあった。どっしりとした建物内には壁面に重厚な彫刻があり、まさに広々とした空間であった。日本人の出席者は全員1つのテーブルに集められていた。そこには大阪大学消化器外科の森 正樹教授、熊本大学消化器外科の馬場秀夫教授、東京慈恵会医科大学外科の大木隆生教授らがいた。

全員が着座後にJörg Fuchs会長の挨拶で開始した。続いて会長夫人は、原稿を見ながらスペイン語で流暢に話されて、会場は拍手喝采だった。それからしばらくして料理が運ばれて、一息ついたところで、ピアノコンチェルトが始まった。今日の料理メニューの他にこのコンサートのプログラムがあり、そこにはピアノはProf. Dr. Sebastian Debus、ヴァイオリン奏者はDr. Fiona Rohlffsで、曲目はJohannes BrahmsのViolinsonate, Nr2, Dur. Opus 100と記されていた。これらは3部構成で演奏され、割れんばかりの拍手喝采だった。ドイツ外科学会の中には、このように立派に演奏ができる人がいることを如実に物語っているものと思った。ハンブルク大学には、このような演奏ができる人が多数いることを後から聞いた。第1部の終了後、旧知であるハンブルク大学血管外科の教授であるProf. Dr. Sebastian Debusのところに行って、今の演奏は実に素晴らしかったと手を差し伸べると、恐縮したように手を差し出し、固い握手を交わし、旧交を温めた。

この後に2017年のドイツ外科学会会長であったProf. Dr. Polemannが、今年のドイツ外科学会会長で小児外科学会会長を務めていたProf. Dr. J. Fuchsを紹介し、23時30分頃に終了した。

翌日、学会は9時(2日目からは8時30分)から始まり、18時30分まで続いた。

第1日目の18時から最も広い会場で行われた開会式は、壇上にProf. Dr. J. Fuchs会長、Prof. Dr. Meyer事務局長、Prof. Dr. Anthuber副会長、Prof. Dr. Schimitz-Rixen次々期会長らが並んだ後に、ドレスデンの少年男声合唱団の歌とともに始まった。会長のProf. Dr. J. Fuchsによる開会宣言の後、ドイツ医師会会長のProf. Dr. Frank Montgomery、ドイツ消化器外科学会会長のProf. Dr. Albrecht Stier、ドイツ小児外科学会会長のProf. Dr. Peter Schmittenbecherらの挨拶が続いた。その後、Prof. Dr. J. Fuchsからのドイツ外科学会会長としての挨拶の中で、今回は“Innovation”“Tradition”“Globalisierung”という3つのテーマをあげて、これらを中心に討議しなければならない、と強調された。

米国人、スペイン人、ドイツ人の教授連の3名に対する名誉会員の表彰では、一人ひとりがそれぞれの言葉で挨拶された。その後、Von Langenbeck賞(最も高い賞金、5000ユーロ)、Rudolf Zenker賞、K-H Bauer賞、Felicien Steichen賞、Karl Stolz賞などが授与された。このような研究者への賞金の授与は、金額に関係なく、本当に思いがけなくうれしいものであり、日本でも行われてもよい制度と感じた。最後に、この1年間に亡くなられた方々への黙禱が全員起立で行われた。この際にもドレスデン少年男声合唱団の歌声が聞こえた。以上のように開会式は終始、厳かに行われて終了した。

学会場は City Cube Berlinで、20箇所の会場で開催された。各会場の入り口ではガードマンがネームタッグをチェックしており、必ず会員であることを示さないといけない。

演題総数は1677題で、その内訳は、ポスターが311(18.55%)であった。また、最も多かったのは消化器外科の992題(59.15%)で、例年に変わらず多く見られた。第2位は形成外科の92題(5.49%)で、第1位と大きな差が見られた。第3位は血管外科68題(4.05%)、第4位は小児外科の67題(3.99%)であった。今回の会長は小児外科が専門であったためか、小児外科が第4位にまで上昇した。第5位は脳神経外科52題(3.10%)、第6位は胸部外科と心臓外科が各20題(1.19%)で、胸部外科と心臓外科が同数となった。

すべての演題では、2人の座長が調整しながら進行し、発表もスライド中心で説明を行うというもので、原稿を読むだけの演者は1人もいなかった。また、質疑応答も専門的で鋭くポイントをついた質問で、無駄なところは一切見られなかった。

また、実習訓練教室もかなりあり、毎日のようにコースを変えて40~50人ぐらい入る会場が設けられていた。今日は胃腸吻合のやり方、明日は血管吻合のやり方、明後日は内視鏡下手術の基本法、その後は肺切除のやり方といった具合で、講師の指導の下に行われていた。

器械展示や書籍展示もあり、いろいろな医学工業会からの、特に内視鏡に関する展示が幅広く行われていた。“da Vinci”などの展示は3箇所もあり、かなりの人が群がっていた。さらに、学会期間中の会員懇親会はSchloss Charlottenburgで、19時30分から始まった。参会費は、教授や部長は最も高い100ユーロ、講師や医長は75ユーロ、助手や医員は50ユーロ、学生は30ユーロと決められていた。着席でフルコースの料理があり、飲み物も自由に飲めた。

ここでは、17世紀の時代に扮した2人がバロック音楽を演奏していた。また、昔ながらの格好をしたヴァイオリンとチェロの奏者2人が会場を回って演奏していた。ベルリンフィルハーモニーの有志が演奏に来ており、最後に学会会長がダンスをはじめるきっかけをつくっていた。これには、まず会長夫妻がダンスに踊り出て、それに会員の皆さんが続いた。皆さん、非常にダンスがお上手である。

ところで、今回はドイツ外科学会の始まる前に、ハンブルク大学で講演を行い、また、学会終了後にデュッセルドルフ大学で講演をする機会があったが、いずれも熱心に聞いて頂き、多くの質問が終了した時点では、机を手で叩く仕草とか、靴の裏を床にこするという動作を目の当たりにすることができた。これは最高の持て成しというか、このように最高の称賛を浴びることになった。

今回は3回にわたる講演を無事終了して帰国できたことは、私にとっては非常に満足したものであった。私にとってはドイツは、「第二の故郷」という気分を味わった。

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