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いでよ、ヒーロー[エッセイ]

No.4898 (2018年03月10日発行) P.66

由富章子 (由富内科眼科医院(熊本県玉名市))

登録日: 2018-03-11

最終更新日: 2018-03-06

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平成30年の始まり、始まり。今年のヒーローは大河ドラマの主人公西郷隆盛さんとスケートの羽生結弦選手。羽生選手が金メダルをとってくれて、これほどうれしいことはありません。タイプは違えど、輝くオーラがまぶしいですね。

さて2人とわたし、1つだけ共通点があります。誕生日が一緒(12月7日)なのです。新暦と旧暦の違いはありますが、細かいことは言いっこなし。スーパースターと同じというだけで、なんだかうれしくなってしまうでしょう。中でも西郷さんはわたしにとって少なからず因縁のある人物といえるのです。

西郷家の先祖は肥後菊池氏の家臣だったようです。七城町(現・菊池市)の西郷地区に居を構え西郷太郎と称していたらしいのですが、元禄時代26代昌隆のとき、島津氏の元に去ったというのです。西郷地区にある増永城付近が旧居だとされており、以前取材で訪れた際に当主の増永氏から、事件を起こしたためこの地区にいられなくなったのだと聞きました。真相は不明ながら、先祖の地を去るに当たっては何らかの事情があったのかもしれません。

西郷さんの奄美での変名が菊池源吾であり、島妻愛加那とのあいだに生まれた子どもの名が菊次郎、娘が菊草(菊子)だったことをみても、彼が菊池を意識していたことは間違いないと思われます。戦国大名が生まれなかった熊本で、近世まで最も著名な豪族は菊池氏と阿蘇氏でした。南朝方として名をはせた菊池氏が戦国時代に大友氏によって滅亡させられた後、傍流の子孫が現在の宮崎県西米良村に移り住みました。西米良村は今もって独立心が強く、合併せずに村のまま。他県の人にはわかりにくいかもしれませんが、菊池氏は誇り高き一族なのです。もちろん西郷さんもその一人であったことでしょう。

西郷地区と由富の本家は3kmほどしか離れておらず、共に菊池氏の家臣だったことも奇縁。もし遠いご先祖に繋がりがあり、西郷さんのDNAがほんの少しでも受け継がれているのなら、有難いのですけどね。

さて、西郷さんが日本史上最大級のスーパースターになっている理由は、人間性もさることながらビジュアルも大いに関係しています。他のスター、織田信長、豊臣秀吉、源 義経、聖徳太子、すべての顔と比べてもインパクト大。残された軍服から推察された身長は約180cm、体重は100kg超。男性の平均身長が155cm前後だった当時からすれば、並はずれた体躯の持ち主といえます。さらに印象的なのは目。「うどめ(巨目)さあ」と呼ばれるほど眼光がするどく、睨まれると相手は萎縮してしまったそうですよ。西郷役の鈴木亮平さんは役によって体格を変えることで有名ですが、体重を増やすことは可能でも、本来の細い目だけは如何ともしがたいかな。細い目の鈴木さんは優しい顔なので、「西郷どん」は剛毅な政治家とは描かれないことでしょう。

話は戻して、ヒーローについて考えてみます。

ヒーローになるには時と運が大事。平和な時代では坂本龍馬もただの郷士、秀吉もサル顔の機転の利く男というだけ。西郷と同じ気質を持った人物がいたとしても平成の世では名を成すことが難しいかもしれません。義経も高杉晋作も、動乱の時代が送り込んだ人物であり、なすべき仕事が済むと、歴史の神様は無情にも舞台から消してしまうようです。

ヒーローにはお金も必要です。援助してくれる誰かがヒーローにはついているのです。それは彼らの魅力からくる運でしょうが、発明や発見、スポーツでもある程度の資金は欠かせません。2番目ではだめなのです。今の世に戦争の英雄はいりませんが、文化面での憧れの人材は必要。それゆえ政府はもっと科学に資金を提供するべきです。日本人はともすると精神論を振りかざし、金がなければ知恵を絞れと言いがちですが、それでは世界と戦えません。第二次世界大戦が終結して70年以上も経っているのに、未だに日本は教訓から学べないのでしょうか。世界規模で考えることが重要で、援助と理解なくしては現代のヒーローは生まれないのです。

日本人は判官贔屓という心情があり、ヒーローに対する憧れと同時に悲劇を好む傾向があります。最後まで恵まれた人生を送った人物よりも、非業の死、惨めな晩年を迎えた人のほうをより称賛しがちです。かつての人気者の「あの人は今」を探る番組をみても成功より落魄を密かに望んでいるように思えます。スポーツ選手ならばヒーローでいられるのは人生のほんの一瞬。いつまでも一等賞であり続けることは不可能でしょう。

晩節を汚さぬためには輝くのと同じくらい努力がいります。自身の功績を驕らず、後輩を育て、節度を保つ。しかしながら努力もむなしく認知症や病気のために社会から身を引いてしまうことになるかもしれません。誰しも生き方は選べても寿命と死因までは希望通りとはいかないのです。だから怖い。他人ごとでなく、新米未亡人の自分に言い聞かせていることなのです。

話は変わって、来年の大河ドラマの主人公、金栗四三さんをご存知ですか。金栗さんもまた熊本の、それも私の地元、玉名の出身です。金栗さんの母校玉名高校の正門から我が家まで50m。もしかしたら、いや確実に我が家の前を通っていたはずです。

金栗さんは明治45年、ストックホルムオリンピックに初の日本代表としてマラソン競技に参加しました。悪条件が重なり棄権という残念な結果に終わってしまいましたが、氏はその後もマラソンの普及に尽力、箱根駅伝も金栗さんの発案から始まっており、最優秀選手には金栗四三杯が授与されます。戦後も熊本県の初代体育協会会長を務めるなど、最後まで全力で人生を走りぬいた氏は92歳という大往生を遂げていて、見事だったというほかありません。

名声を得た方は知恵やお金を社会に還元してほしい。肉体は滅びても記憶に残る人であり続けてほしい。横綱までなった人が、暴力で引退というのは何ともやるせないではありませんか。

ヒーローの資質がなさそうなわたしでも、誰かの応援をすることは可能です。病気を治すことも人助け、病人の心の支えになれるのならそうしたい。本当に実のあるお金の使い道も考えねば。

いえいえ、人生はまだ道半ば。死は明日か、もっと遠くにあるのか、神ならぬ身では知りようがありません。だったら、歳を言い訳にしてしょぼくれた人になんかなりたくない。元気であっぱれな人生を送りたい。今頭の中ではNHK「みんなのうた」で郷ひろみが歌った「僕らのヒーロー」が鳴り続けているのです。

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