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「阿留辺畿夜宇和」から[炉辺閑話]

No.4889 (2018年01月06日発行) P.43

岸本年史 (奈良県立医科大学精神医学講座教授)

登録日: 2018-01-03

最終更新日: 2017-12-21

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昨年は6月に私が第32回日本老年精神医学会を名古屋で開催し、10月には奈良県立医科大学看護学科科長・飯田順三教授により奈良春日野国際フォーラム甍で第58回日本児童青年精神医学会が開催された。奈良県立医科大学精神科が児童から老人までの臨床力をアピールできたと喜んでいる。

奈良は能楽発祥の地であり、奈良春日野国際フォーラム甍は学会場としてよく使われるが、メインホールは能舞台になっている。この能舞台での司会を仰せつかり、靴を脱いで神聖な舞台に上がらせて頂いた。この能舞台で能を観たのは、平成15年に日本医師会の全国勤務医部会連絡協議会が開催され、閉会後のアトラクションとして能「春日龍神」を金春穂高師が後シテとして演じられたときであった。栂尾の明恵上人が天竺に渡る、その暇乞いに春日明神に参拝にこられ、春日明神が明恵上人の志を、釈尊は入滅しておられその必要なしと止めるという能で、幽玄さではないが、龍神の勇壮なスペクタクルを楽しませて頂き、このようなスピーディーで迫力のある能があると知った機会であった。

明恵上人は、鎌倉時代に聖人と尊敬を集めた華厳密教の高僧で、時の執権北条泰時も私淑していた。高山寺の「明恵上人樹上坐禅像」は有名であるが、縄床樹に座る上人の周りには、松、岩、藤、小鳥、リスが描かれており、明恵の日常がうかがわれる。また、われわれ精神科医にとっては、上人が19歳から60歳で亡くなる前年までみた夢を記録した「夢記」が興味深い。明恵は「阿留辺畿夜宇和」を唱え、次のように述べている。「人は阿留辺畿夜宇和を持つべきなり。僧は僧のあるべきよう、俗は俗のあるべきようなり、乃至帝王は帝王のあるべきよう、臣下は臣下のあるべきようなり、このあるべきようを背くゆえに一切悪しきなり」と。白洲正子によれば、これは菩提心に基づく易行をわかりやすく述べたものであるとしている。私はその人なりの自己実現の術と読める。身体障碍、精神病や自閉症などの精神障碍、知的障碍を持っていても、その人なりの自己実現を達成できると読める。明恵は生涯にわたって修行したが、私も自分なりに努力をして自分の成長を図りたいと思っている。

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