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平穏死は法的にどう解釈される?【患者が過剰な延命治療を求めていないという理解にとどまり,通常の治療は行われるべき】

No.4792 (2016年02月27日発行) P.62

手嶋 豊 (神戸大学大学院法学研究科教授)

登録日: 2016-02-27

最終更新日: 2016-10-25

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【Q】

最近,平穏死という言葉をよく聞き,非常に興味深く思っています。安楽死,尊厳死などの考え方がありましたが,法的な問題から実行は難しいとされていました。たとえば,胃瘻やCVカテーテルをせず経口摂取を続けると,どうしても肺炎を繰り返しますが,肺炎の治療をしない(本人,家族が了解の上で)ことは,法的に問題になるか,意見を聞きたいと思います。 (千葉県 F)

【A】

日本人の長寿が世界で最上位に位置づけられる一方,長期生存が医療機器に依存し,当人には苦痛でしかない状況もしばしば仄聞します。近時,石飛幸三医師を提唱者に,「平穏死」が広く知られるようになっています(文献1)。長尾和宏医師によれば,平穏死とは「自然死,尊厳死と同義」で,「過剰な延命処置をせず自然な経過に任せた先にある死」とされています。そして「平穏死とは,がんや老衰に限らず,すべての病態の終末期に共通する考え方です。そしてどんな病態においても,“緩和ケア”がベースにあることを忘れてはなりません。平穏死=何もしない,ではないのです」(文献2)としています。
平穏死は,投薬などにより自然の死期に先立って患者の生命を短縮する積極的安楽死とは大きく異なります。尊厳死が,患者本人の意思表示と,末期状態であることを条件として延命治療を差し控えるのに対して,「平穏死」は,終末期に栄養摂取ができなくなった患者に対し,医療によってその生命延長を図らない点で医療よりも介護に近く,在宅医療との接続が意識されています。
日本では,欧米諸国の一部のような積極的安楽死や医師による自殺幇助を適法と認めていませんが,尊厳死は,本人が延命治療を望まないのであればそれを尊重するとされています。しかし実際には,過去の事例処理を判断根拠として,尊厳死でも延命治療の不開始は問題とされませんが,ひとたび延命治療を開始してしまうと,その中断には刑事責任が生じうるという扱いが医療現場の対応とされます。
それでは,平穏死の希望があることを理由とする肺炎患者の不治療には,どのような問題があるのでしょうか。これには,およそ治療の実施は平穏死の概念に反するとの反論もあるでしょうが,平穏死の希望は,患者への栄養・水分投与に関してそれが過剰な延命治療にならないことを求めるにとどまり,平穏死の希望があるからといって,患者があらゆる治療を拒否していると解することはできません。平穏死の指標は,患者が終末期のため食べないことであって(随所で引用される福井次矢・黒川清監訳『ハリソン内科学』では「患者は死につつあるから食べないのであって,食べるのをやめたから死ぬのではないことがわかれば,家族や介護者の不安は軽減する」(文献3)と述べています),患者が終末期になければ,治療の拒否といった事情がない限り,通常の治療は実施されるべきです。
肺炎は高齢者の死因の上位に位置しますが,患者が終末期になく,明確な治療拒否の意思表示もないのに肺炎の治療を実施せず,その結果として患者を死亡させたということがあった場合,不治療を正当化することは困難です。ただ,これでは平穏死禁止と同じとの懸念も生じるかもしれませんが,生存する力を失ってしまった患者となお生存できる力を残している患者との間を区別しているのであり,平穏死の否定ではありません。なお,現在の終末期に関する医療現場の対応に問題が指摘されていることは参考になります(文献4)。

【文献】


1) 石飛幸三:「平穏死」のすすめ. 講談社, 2013.
2) 長尾和宏:地域ケア. 2015;17(6):6.
3) 福井次矢, 他, 監訳:ハリソン内科学. 第4版. メディカル・サイエンス・インターナショナル, 2013, p72.
4) 樋口範雄:医療と社会. 2015;25(1):21-34.

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