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倒錯した学術出版システムにどう向き合うか:立ち止まって考え,これからを描く[提言]

No.5204 (2024年01月20日発行) P.46

井出和希 (大阪大学感染症総合教育研究拠点科学情報・公共政策部門/同社会技術共創研究センター(ELSIセンター)特任准教授,文部科学省科学技術・学術政策研究所(NISTEP)客員研究官)

中山健夫 (京都大学大学院医学研究科社会健康医学系専攻健康情報学分野教授/同医学部附属病院倫理支援部部長)

登録日: 2024-01-22

最終更新日: 2024-01-12

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  • 〔要旨〕新型コロナウイルス感染症(COVID-19)の影響は医学領域を含む学術出版にも及んだ。それに限らず,論文の質にまつわる議論は日々進展している。Clark JによるBMJ誌における論考を紹介するとともに,2023年の学術誌・学術論文データベースの動きもふまえて,現在の学術出版システムについてどう向き合って歩みを進めていくかを考察する。

    1 学術出版の急成長と課題

    「パンデミックによって科学出版は急成長した。これは世界的な脅威に対する集団的な勝利と広く考えられていたが,パンデミックによる出版の弊害は見過ごされていないだろうか」とClark JはBMJ誌における論考で疑問を投げかけている1)。本稿では,前半でClark Jの論考の概要を紹介し,後半で近年の学術誌・学術論文データベースの動きもふまえて,学術出版システムにどう向き合っていくか,私見と考察を述べる。

    同論考においては,The New England Journal of Medicine(NEJM)誌の編集長であるRubin EJが,新型コロナウイルス感染症(COVID-19)の発生とともに1日当たり200報を超える関連論文が投稿されるようになったと語っている。Lancet誌の編集者であるHorton Rも,New York Times誌(2020年5月21日)に対して仕事の重圧や責任の大きさについて述べていた。

    計量書誌学の研究者であるLarivière Vは,2020年の論文出版数に目を向け,150万報と単年で史上最大の増加率を記録したと述べている1)。筆者らがWeb of Science Core Collectionを参照したところ,収載誌かつ原著論文または総説に限っても2020年に263万6457報の論文が出版されており(2023年4月18日時点),学術出版の「急成長」はより大きなものであると推察された。

    また,2020年1月に出された英国ウェルカム・トラスト財団による研究データや成果共有の共同声明に,多くの学術誌や研究機関が賛同・署名した2)。これは脅威に立ち向かうという観点から違和感のない行動であるともとらえられるが,Clark Jは,知名度とインパクトに表象される歪んだ競争心を刺激するものになってしまったかもしれない,と振り返っている。とは言え,Rubin EJ(前出のNEJM誌編集長)は自身の恐怖を伴う臨床経験から何らかの知見を公表することは,何もないよりはましであると語っており,混乱の只中で判断することの難しさを物語っている。

    2 「迅速な」出版の実際と意味

    実際、出版の速さに目を向けると,どのような変化があったのだろうか。2023年に行われた33万9000報の論文を分析した結果からは,パンデミックの前後で修正論文の受理判断に要する時間が平均8.9日短くなったとしている3)。また,ファストトラック制度の拡大もあり,2020年以降のLancet誌で最も引用された5つの論文(ほとんどが初期のコロナウイルスのデータについて報告したもの)は,受付後14日以内にアクセプトされ,22日以内に出版されていた。ただし,迅速さの程度については分析対象によって大きく異なる点に留意を要する。関連の研究としては,Palayew AらやSevryugina YVらの報告が挙げられる4)5)

    とは言え,Lancet誌とNEJM誌の両誌において,COVID-19に対するヒドロキシクロロキンの早期有効性が報告され,その後研究不正が判明して撤回された深刻な事例がある6)7)。Clark Jは,このことが人々の学術誌に対する信頼性を脅かす出来事であっただろうと述べている。しかしながら,Retraction Watchにおける報告をもとに推定される撤回率は0.07%であり,この値は他に比較してCOVID-19関連論文において高いとは言えない,と考えられている8)9)

    3 オープンサイエンスは実践されたのか

    研究データや成果共有の動きについては先述の通りであるが,実際のところはどうだったのであろうか。2020年に出版されたCOVID-19関連論文のうち,プレプリント段階から公開されていたものは5%程度とのことである。ワクチンの第3相試験(Oxford-AstraZeneca,Moderna,Pfizer)についても,プレプリントは公開されなかった。

    しかしながら,特に健康や関連する行動に影響を及ぼしうる成果については,査読前の段階で─たとえ査読というプロセスが完璧なものではないにせよ─どこまで公開すべきか留意すべきであろう。

    データの共有の観点では,ウェルカム・トラスト財団の共同声明に署名した学術誌や出版社かどうかにかかわらず,データがどこにあり,どのようにアクセスできるかという情報(data availability statement)を含んでいた論文は42~45%程度にとどまる10)。特に臨床研究の場合,倫理的な観点からデータの共有に制限を設けることも多いが,データそのものを共有せずとも正当な入手のプロセスについて明示することは,コミュニティーの内外から新しい知見を生み出していく上で有益である。

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