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【識者の眼】「ツベルクリンとコールタール」早川 智

No.5123 (2022年07月02日発行) P.60

早川 智 (日本大学医学部病態病理学系微生物学分野教授)

登録日: 2022-06-21

最終更新日: 2022-06-21

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7月1日に新学長・理事長が就任され勤務先が生まれ変わる。アメフト事件から昨年の脱税背任までここ数年、母校でもある日本大学の迷走凋落に良識ある教職員も学生も忸怩たる思いをしてきたが、これで学祖山田顕義の理念に立ち返ることができるであろう。

さて、学祖山田伯は医師ではないが政治家として医学研究に大きく貢献している。しかしこのことはあまり知られていない。1890年、史上初の結核ワクチンであるツベルクリンの開発が結核菌発見者ロベルト・コッホのラボで完成に近づきつつあった。これを主導していたのが愛弟子の北里柴三郎であったが、この年には3年間の官費留学が切れて帰国を命ぜられていた。この仕事は北里にしか任せられないと考えたコッホは、オーストリー・ハンガリー帝国公使として渡欧、ベルリンで条約改正の任に当たっていた旧知の西園寺公望に北里の留学延長を要請、西園寺は内務省衛生局長長與専齋と大日本私立衛生会会頭の職にあった山田顕義に申請した。山田は明治政府に掛け合い、本来なら認められない公費留学の延長と、さらに皇室からの滞在費1000円を獲得するに至る。敬愛する松下村塾の先輩高杉晋作ほか多くの友人親族を結核で失っていた山田は、結核治療の開発という朗報に思うところがあったのだろう。

この時期、帝国政府は、結核研究のためさらに留学生を派遣した。しかし、コッホは北里一人で十分といって断ってしまう。それでもさすがに日本に追い返すことはできず、同僚の病理学者ウイルヒョウ教授に預け、留学生は一転して悪性腫瘍の研究にテーマを変えることになった。そして北里の後任として渡独した若き病理学者は、留学2年の間に腫瘍病理学の研鑽を積み、帰国後も研究を続ける。彼こそが後に東京帝国大学病理学教授として弟子の市川厚一博士(後に北海道帝大獣医病理教授)とともに兎の耳にコールタールを塗ることで世界に先駆けて化学発がんの実験を成功させた山極勝三郎博士だった。

一方、コッホ・北里が全力で取り組んだツベルクリンは結核に対しては予防効果も治療効果もなく、真に有効なワクチンはBCGの開発を待たねばならない。皮肉なことに、ツベルクリンに治療薬としての有効性がないことを証明したのはコッホの親友でもあったウイルヒョウである。個人的友情を越えた学問の世界の厳しさを語るエピソードとも言えるだろう。

早川 智(日本大学医学部病態病理学系微生物学分野教授)[医史][山田顕義

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