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阪神一筋70年[炉辺閑話]

No.4993 (2020年01月04日発行) P.71

和田源司 (神奈川県)

登録日: 2020-01-05

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昨年9月、孫と東京ドーム「日ハム 対 楽天」戦を観戦した。女子アナの始球式等、プロ野球も随分変わった。戦後、川崎・新丸子で叔父が開業、近くに巨人軍合宿所があり、馬場投手(後のジャイアント馬場)が診察にきた由。巨人「川上」阪神「藤村兄」東急「大下」等のプロマイドをもらいプロ野球を知った。阪神ファンになった。昭和25年「セ」「パ」に分かれ、別当、土井垣らが「毎日」に移り、弱体化への判官贔屓だった。昭和34年、巨人 対 阪神の天覧試合、村山が長嶋にサヨナラ本塁打されたとき、歯ぎしりした。

昭和37年大学入学。阪神は小山、村山等でセ制覇。昭和39年専門課程。阪神は村山、バッキー等でセ制覇。東京五輪の年だった。総武線車窓から聖火が見えた。プロ野球は「五輪」に日程を合わせた。9月30日、阪神は中日とのダブルヘッダーで優勝を決め、翌10月1日、南海との日本シリーズ第1戦という強行日程だった。10月10日五輪開幕日、第7戦で敗れた。その後、昭和60年吉田監督のもと、バース、掛布、岡田等で日本一になった。平成15、17年、セ制覇した。

昨年、最終戦で中日を破りクライマックスシリーズに進出したが、素直には喜べなかった。クライマックスシリーズ制度に疑問であった。中日の好投していた大野投手が途中降板した。野球は個人競技なのか?阪神ファーストステージでは、DeNAに勝つも、ファイナルステージで巨人に敗れた。横道に逸れるが、400勝大投手金田正一逝去。昭和33年、八王子の電気店のテレビで見たルーキー長嶋を4打席4三振が脳裏に浮かぶ。

成績とは別なエピソードだが、昨年1月に大腸癌手術をした原口選手、見事に復活し6月9日サヨナラ安打。スポーツ紙を買い求めた。9月23日横田選手引退表明。平成25年入団、平成28年開幕戦先発出場。「大物」と期待されたが平成29年脳腫瘍判明、治療を受け復帰をめざしたが叶わなかった。第二の人生に「六甲おろし」のエールを送りたい。

今年の東京オリンピック・パラリンピックの盛り上がりに期待する。

昭和、平成、令和と阪神一筋70年である。セ制覇、クライマックスシリーズ勝利、あわよくば阪神に日本一になってもらいたい。

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