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アメリカ留学で学んだこと[炉辺閑話]

No.4941 (2019年01月05日発行) P.9

髙久史麿 (地域医療振興協会会長)

登録日: 2019-01-01

最終更新日: 2018-12-27

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私がシカゴ大学のArgonne Cancer Research Center(ACRC)に留学したのは、1962~3年の1年間であった。31歳のときに留学したことになる。その当時、東京大学の冲中内科でエリスロポエチン(EPO)の研究をしており、ACRC所長のLeon Jacobsonのグループが、EPOが腎臓で生産されることを初めて発表したのでシカゴ大学を希望した。その時代は国際原子力機関(IAEA)の留学生制度があり(その後日本が裕福になってからはこの奨学金制度はなくなった)、

幸いその試験に合格したので自分の行きたい施設を選ぶことができたため、シカゴ大学を選んだ次第である。

アンカレッジ経由という長い飛行時間を経てシカゴ大学に到着した。幸いACRCの研究者が迎えにきていたのでシカゴ大学の留学生用の寮にたどり着いたが、飛行場から宿舎までの途中の高速道路にまず驚いた。その頃、日本にはまったく高速道路がなかったからである。

シカゴ大学ではもっぱら研究室でEPOのin vitroの仕事をし、2本くらい小論文を書いただけで奨学金給与機関の1年が経るとすぐ日本に帰ってきた。すぐ帰った1つの理由は、その頃から白血病の研究に興味を持つようになったからである。

短い留学期間中であったが、その間にアメリカ社会の生き方についていろいろ学んだ。その中の1つは、アメリカでは組織の上に立つ人にはユーモアのセンスがある人が多いことだった(もっとも、今の大統領にユーモアのセンスがあるとは思えないが)。私のボスのJacobson(この人はノーベル賞受賞の候補にもなった)とメキシコでの国際血液学会に出席し、3人でピラミッドを見に行った。その時、ものすごく古いタクシーに乗ったが、車から降りたとき、彼がそばに落ちていた鉄の塊を拾い上げ、車の運転手に「お前の車の部品が落ちているぞ」と手渡し、運転手がNo,Noと叫んで大笑いしたことが思い出される。

もう1つは、私が親しくしたアメリカ人の教授が「自分が現在の地位にあるのは、自分をボスが抜擢してくれたからである。自分の最大の使命は、若い優秀な人を見つけてチャンスを与えることである。またこのことが、自分のボスに対する恩返しになる」と常日頃言っていたことである。この言葉は、私の将来の生き方に大きな影響を与えた。

ある晩、私を含めた数人の留学生が、ある金持ちの家の夕食にまねかれた。彼はシカゴ大学医学部の学生数人に奨学金を出しているとのことであったが、彼の息子はアルバイトをしながら大学に通っていた。びっくりして理由を聞くと、「あの息子は出来が悪い。同じお金を出すなら、シカゴ大学の医学生に出すことのほうが社会の為になる」と答えた。そのような人はアメリカでも少ないと思うが、その言葉を聞いてアメリカ社会の強さを実感したのは事実である。

もう1つは、教授と医学生が、大学以外の場所では友人のように付き合っていたことである。このことも私の将来の生き方に影響した。

最後に驚いたことがある。同じ研究室にドイツ系アメリカ人のSandy Krantzという研究者(彼は現在アメリカの医科大学の教授をしている)とGallien Lartigueというフランスの女性留学生がおり、一緒に研究していた。日本に帰ってから暫くたつと、Krantzから手紙がきた。その中に「Gallien Lartigueがフランスに帰った。これでblood shedding fight is over」と書いてあった。

私にとって、まったく予想しなかった手紙であった。

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