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公達が駆け抜けた福原京 旧都域雑感

No.4941 (2019年01月05日発行) P.82

近藤武史 (神戸大学大学院医学研究科講師)

登録日: 2019-01-05

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やや遅き自宅購入であったが、2015(平成27)年に一大決断をして、「緑陰随筆2009」に掲載された「旧気象台横の官舎」に描いた官舎を出て、勤務地にきわめて近い町に移った。ぽんと物件が出た感じで、よい場所に転居することができた。昨年には思いがけず隣地を購入し、子どもたちのためのささやかな広場をつくった。このエリアは福原京域にある。周囲には都にちなんだ地名も多い。

福原を「広辞苑」でひくと、「1180年(治承4)平清盛が安徳天皇を奉じて一時新都とした地。公家たちの反対が多く半年で京都に復帰。今の神戸市兵庫区」とある。「児童数の減少による小規模化や校舎の老朽化が進行していた小学校の総合的な教育環境の改善を図るため」にできた小学校が近くにあったことも、転居の理由である。

統合前の小学校は100年を越える歴史を有し、それぞれ指呼の間にあり、かつて子どもが多かったことが偲ばれる。福原遷都に関連するキーワードを列挙すると、海運、新王朝、明石海峡、大輪田泊、淡路島、日宋貿易の拠点、旧勢力・寺院勢力・京都からの距離、港湾、畿内(摂津)の西端、戦略の要地(源平の戦いや南北朝の戦いの場)等が挙げられよう。「新都は北は山にそひてたかく、南は海ちかくしてくだれり。浪の音常はかまびすしく、塩風はげしき所なり」平家物語は、山と海に挟まれた神戸の地形を活写する。「福原の旧里に一夜をこそあかされけれ」平家は都落ちする際に福原京に立ち寄って一夜を明かした。「折節秋のはじめの月は、しもの弓はりなり。深更空夜閑にして、旅ねの床の草枕、露も涙もあらそひて、ただ物のみぞかなしき」凄絶な描写が続く。そして、「福原の内裏に火をかけて」以来、すべてがなくなった。都が続いていたらどうなったであろう。いよいよあと5カ月足らずで平成も終わり、小生は卒後20年を迎える。
病理から法医に遷り何を為したかという忸怩たる思いもあるが、粛々と死因究明に勤しむしかあるまい。

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